2022-01-01
2022年1月1日。すばらしく晴れわたった元日。朝から申し分のない晴天が続いている。
いまは午後2時半。私は愛車とともに、この河の河口付近の河川敷にいる。
静かだ。
車窓をあけて、外の冷気を取り込んでいるが、耳に届く音は、ときおり吹きわたる風邪の音のほかは、ほとんど何ひとつ聞こえない。
車を停めたすぐ横の立ち木につがいの野鳥が飛来し、ほどなく飛び立っていったが、鳴き声はおろか羽音ひとつ聴き取ることはできなかった。
だが、この静謐な様を書き留めていると、その静寂を破る声が聞こえた。目を上げて窓越しに外を見ると、十歳前後のふたりの少年が何かしきりに話ながら、川縁(かわべり)を歩いていた。
そしてさらに、大型の旅客機が、近くの空港に向けてゆっくりと旋回しながら飛行している姿が、微かなジェット音とともに目にはいった。
元日の昼下がりの大海原が間近なこの河口。快晴なだけでなく、風もほとんどないほどの静寂。ここにあるのは、光だけだ。
そして、私の視線の向こう、大きく広がった河口の水面(みなも)には、絶えず小さな波が躍動している。無数の細波(さざなみ)が広い河口の対岸まで隙間なく埋め尽くし、音もなく、ただひたすら、水面を小さく波立たせている。
満潮に向かっているのだろうか。一面の細波たちは、河上へと徐々に遡っているように見える。
それにしても、なんと素晴らしい元日の午後のひと時だろう。家にばかりいても気づまり感が増すので、久しぶりにここにやってきたが、元日を愛でるまたとない機会をもつことができた。