〜〜〜 ただいま仕上げ中です(^^)〜〜〜
写真は宿泊先の「サフィールホテル稚内」の11階の部屋から写した北防波堤ドームとオホーツク海。
なお、左の光は窓に反射したフラッシュ。その右上に見える小さな黒い染みっぽいものは一羽の海鳥。
「
あとがき」(2023年6月2日の日記)
先週土曜日からきのうまでの5泊6日の最北の旅。「第2回My最北旅行」を果たして、無事帰還することができました。
今回も、あちこちチョロQみたいに車で走り回ったので、いまはさすがに疲れています。でもとりあえず、帰還したことくらいは書いておきたいし、旅の目的がただの観光ではなかったことや、この旅のまとめ方についてもメモしておきたいので、ちょこっと書いてみました。
ということで、今回は、前回の昨年秋以上に“実り多い”旅となりました。
今回の旅の目的は大きくは三個あって、第一番目にくるのは「歴史に関すること」で、これは三つからなっています。
一つ目は「樺太」(現、ロシア領サハリン)に関すること。 二つ目は、稚内市の西にあるふたつの離島のうち利尻島にやってきたアメリカ人「ラナルド・マクドナルド」に関すること。
三つ目は、「歴史」というには新しすぎるけれども、文化財「旧瀬戸邸」の建て主でもある「瀬戸常蔵」氏の伝記
(ただし、あれば…)あるいは「性格や人となりのうかがえるエピソード」を得ること。
いずれも、資料収集としては、かなりな“成果”をあげることができたと思います。ただ、三つ目に関する伝記などの同氏の“人となり”のわかる資料は、旧瀬戸邸の学芸員さんや市立図書館の職員さんに尋ねても、そのような資料はそもそもない、とのことでした。
第二番目にくるのは、前回の旅で、最終日のあわただしい時間のなか“やっちまっ(てい)た「大失態」”に対しての“完全な修復”をおこなうこと。これも、当着初日に果たすことができました。
(ただ、飛行機が1時間以上も遅れ、移動手段の空港バスもいつ出発するか不明の情況のなかで、予定どおり運ばないときの日程変更まで考えなくてはならないような、気をもむ情況におかれはしたけれど…)
第三番目は、前回秋(昨年9/6〜9/9)で行けなかった所(食べ処含む)や再訪問したい所をもれなく訪れること。これについては、予定していた所をほぼすべて訪れることができました。
具体的には、利尻島ぐるっと一周、利尻に恋し店(ジャコねぎパスタ)、ポルトコーヒー(コーヒーとスイーツ)、間宮堂(ホタテラーメン)、うろこ亭(う ろこ市丼)、青い鳥(塩ラーメン)、大沼野鳥観察館、抜海駅、青少年科学館のプラネタリム放映鑑賞、サロベツ湿原センター、エサヌカ線往復、道の駅「さる ふつ公園」など。
それから、これは今回に限らず(今後も含めた)毎回の旅の目的でもありますが、「FMわっぴ〜」さんを表敬訪問して、ささやかな差し入れをすること。わっぴ〜さんには前回も訪問したわけですが、今回はすこし内容を“豊か”にしてお届けすることにしました。
そして、杉谷局長とベテラン・パーソナリティーさっちーさん、そして、ファンである「DJくるみ」さんこと池田くるみさんからは親しく接していただいて、とてもラッキーでした。
そうそう、副港市場にあるストリートピアノも弾いてみました。音質はやや金属的な繊細な響きで、タッチだけで強弱をはっきりだせる、よく調整されたピアノですね。
ちゃんとした曲がまだ堂々と弾けないレベルなので、指の練習みたいな即興演奏を楽しみました。あくまで即興なので、耳障りにならないよう左と中央のペダ ルを踏みっ放して、タッチは大胆ながらも、音が響かないようポコポコと鳴らしながら、まさしく、指の練習に終わりました。
というわけで、今回は「ストリートピアノで正式デビュー」とはいきませんでしたが、次回はちゃんとした曲を数曲、しっかり指とアタマに叩きこんで、「ストリートピアノで正式デビュー」をしたいと思います。
さて、「第2回My最北旅行」についても、このブログにて、第1回をしのぐ内容で旅日記を書きたいと思います。この2週間でとりあえずの概要版を作り、それから1か月後には、詳細版のアウトラインをアップできたらいいな…と思っています。
しかししかし…、今回は、前回ほどの信じられないような“失態”や“失敗”はなかったけれど、ちょっとしたアクシデントや予定変更は、今回もけっこうたくさんあったなあ…。
それから、恐れたいた“なくし物”は、古いデジカメの予備のバッテリー1個ですみました。よかった…と思うことにしましす(ちっ、苦笑;)
それと、想定もしていなかった“大失態”や“大失敗”ではない“不可解な事態”に遭遇。これについては、事態にいたる事実関係から振り返って分析した結 果、自分なりの“理由(わけ)”に思いいたりました。
“特殊事情”による内規があって、それに“抵触”した(虎の尾を踏んだ…)ことではないかと、推察しています。
このことについても、旅の余録として、いずれチラッとふれるつもりではいます…“反省と自戒”の立ち位置から(^^)
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【番外編1】
以前から、この「宗谷サンセットロード」という名称と、「オロロンライン」との関係が気になっていました。
(というのも、小樽から稚内までの約380kmに及ぶとされている「(日本海)オロロンライン」(※1/※2)ですが、googleマップによりますと、稚咲内海岸付近からノシャップ岬までの海岸道路には、「オロロンライン」と並んで「宗谷サンセットロード」という名前も出ています。でも、わっぴ~さんを聴くかぎりでは、その区間についても「オロロンライン」しか耳にしたことがありませんので、たぶんですが…地元では認知されていない名称なのかな(?)…と思いました。)
そこで、「だれ(/どこ)が、いつ、どんな趣旨で、名づけたんだろう?」と思ってサーチしてみましたら、「宗谷サンセットロード」という“ルート”は、2006年に国交省から指定された「宗谷シーニックバイウェイ」の一つに位置づけられているようですね(※3/※4)。
(ということで、道道106号と道道254号からなる「宗谷サンセットロード」は、国レベルでしっかりと“オーソライズ”された名称であることがわかりました^^v)
ちなみに、「宗谷シーニックバイウェイ」(※5)には、「宗谷サンセットロード」のほかに、海の道「北の浮島航路」もルートとして含んでいて、さらに二つの島の道「利尻ファンタスティックロード」と「れぶんアツモリロード」も取りこんだ、全部で11のルートが設定されているようです。
うーん、そうなると、(ここで急に観光客目線になりますが…笑;)、「宗谷シーニックバイウェイ」の見所でちょこっと車を停めて、目の前に広がる景観を堪能しながら走る長距離ドライブも、「日本最北端の旅」のメニューに加えてよさそうですね(ただし、交通の支障にならなければ…ではありますが)。
自分はドライブ好きなので、稚内を訪れたときに、いくつかのルートをじっくり走れたらいいな…と思っています(^^v
(※ 続きは《PS》にて、お暇な折に御笑覧頂ければ…と思います^_^)
ところで、Wikipedia記載の「日本海オロロンライン」(※2)によりますと、このルート名は複数の道路をつなげた「愛称」だそうで、「オロロンライン」とも称されるそうです(こちらも「愛称」のようですね…たぶん)。
で、このルートは、石狩と稚内間の日本海に面した海岸道路約290kmの区間を基本としているとのことですが、なぜかもうひとつ、広義のタイプがあるそうで、それは、冒頭で述べた小樽から稚内までの約380kmの区間(※1)をさしているそうです。
このことから、どうやら、「(日本海)オロロンライン」は、シーニックバイウェイのような、行政的な手続きを経て定められたルート名ではないようです。そんなこともあってか、自分はまだ、この「愛称」を「だれ(/どこ)が、いつ、どんな趣旨で名づけたか」探し出せないでいます(^^;
ということで、どなたか詳しい方がいらっしゃったら、Wikiの「日本海オロロンライン」の記事(※2)に、そこらあたりの事を追記してくださったらいいなあ…と思っています^_^
【参考にしたサイト^^】
(※1)
オロロンライン|稚内まで海岸線をひた走る絶景ドライブルート!
(※2)
日本海オロロンライン - Wikipedia
(※3)
北海道地方の道路一覧>その他>シーニックバイウェイ - Wikipedia
(※4)
シーニックバイウェイ>日本におけるシーニックバイウェイ - Wikipedia
(※5)
憧れの島・利尻・礼文へ
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【番外編2】
● 帰りの飛行機は右側の窓側を予約していました。南北海道や東北の山並みを観るのが、この旅の楽しみの一つになっています。
そして、窓の下の雲の合間から見える景色を、今回も、何かに取り憑かれたかのように、撮りまくりました。ちなみに、カメラはスマホです。手持ちのデジカメよりも、ずっと解像度がいいので、画像にこだわるときは、スマホにしています。
で、そうやって、夢中で写真を撮っていたら、機内サービスが始まったようです。そこで、シャッタを押す手を止めて、機内サービスのワゴンが近づいてくるのを待つために、体勢を整えました。
すると、二人ひと組のCAさんがサービスをしているのが目にはいりました。そこで今回も、いつものようにホットコーヒーしようと思いながら、近づいてくるのを静かに待ちました。
ただ、自分の座っている右サイドの座席には、なかなか顔を向けてくれません。しかも珍しいことに、自分の座っているサイドの3シートには、だれも座っいなくて、自分ひとりだけです。
このとき、なんだか嫌な予感が脳裏をよぎりました。
そう、二人のCAさんは、ほとんど、左サイドの2シートの乗客の方に視線を注ぎながら、移動していて、自分の横にきたときも、こちらを向いて、オーダーを確認する気配すらありませんでした。
言い換えれば、そもそも自分は、右奥のこのシートに存在などしていないかのようです。嫌な予感は当たり、サービスワゴンは自分の横でとまることもなくゆっくりと通り過ぎてゆきました。
自分はそのとき、寝ていたのではなく、正面を向いて、声がかかるのを待っていたわけですが、機内サービスのプロから喰らったまったくのシカト。こんな経験は初めてです。
これまで、ANAの国内線はもちろん、ANAだけではないですが、数回は乗ったことのある国際線でも、このような“完全無視というサービス”を受けことはありません。
機内で飲むコーヒーも、ささやかな楽しみの一つだったので、これが、無視されたカタチできなかったのが、残念でいしかたなく、ハブられた時に感じるそこはかとない悲哀感と仄かな憤りまで滲み出てきて、不快感を鎮めるのにしばらく時間がかかりました。
そんなこともあってか、自分が座っていた横3シートには自分だけでしたが、前後にいた二人連れの乗客にサービスの声がかかったのどうかは、なぜか思い出せません。
● で、湧き出てきそうな不快感を抑え込みながら、「それにしても、いったいなにが原因なんだろう?」と、思いを巡らせてみたのですが、あれこれ考えたあげく、思い当たるのは“あれ”しかありませんでした。
そう、7、8キロもある重すぎる手荷物の機内持ち込みです。その「原因」は、(3つ上のパラグラフで書いた)「気づき」と密接な関係があるにちがいない…。
では、その「気づき」との「関係性」とは…?
まずは、時間を巻き戻します…。
…稚内空港で手荷物検査を無事に終えた。
そのあと、何事もなくホールディングルームにはいり、登場案内を待った。
やがて出発案内があったので、重い荷物をひきずるように持って、機内の指定席に座った。
その際、大きな荷物は座席上の荷物棚(オーバーヘッド・ビン Overhead bin)に入れた。
この日は、風がすこし強ったようで、出発時刻は少しおくれたが、飛行機は慎重に離陸したようだ。
そしてこのときわかった。
カウンター預けるように勧められたのは、このことだったのか…と。
思うに、自分の荷物、航空会社設定の基準は満たしているけれども、「現場」としてはより確実な安全確保をすするために、手荷物はなるべく機体底部の荷物預り庫に入れてもらいたい(という強い思いがある)。
なぜなら、稚内空港は、日ごろから風が強いだけでなく、航空機の弱点である横風を受けやすく、さらに、冬場ともなれば暴風雪も多いことから、全国でも極めて高い欠航率をみせている空港。だからこそ、重い荷物はすこしでも期待底部の預り庫に置いてもらいた。
なぜなら、その対応が、そのまま飛行の安定に直結するわけだから。
どうやら、そういう趣旨あるいは思いから、風の強いこの空港のいわばローカル・ルール的なものとして、「手荷物はなるべく預かる」的な方針を勧めているように思われる……。
もし、稚内空港特有の公式規則であるなら、それは、文書掲示による乗客への告知または協力依頼として、公開されていなければならないはず、
そうれは見当たらなく、またその教示もなく、“曖昧な表現での勧め”に止(とど)まっているというのは、おそらく、現場職員レベルでの安全性向上への寄与として、“勧誘”しているのだろう。そううとしか思えない。
でもそれは、“現場担当者たちが乗客たちに対して非公式な“影響力”をもっている”という組織運営上好ましくない情況に陥っていると言えるだろう。なぜなら、担当者の胸先三寸といった恣意的な対応を惹起しかねないからである。
したがって、もしこのようなことが「事実」(実態)であるとするなら、これはANAもしくは稚内空港として、公式なロカール・ルール化を明記明定し、利用者(搭乗手続き者(に広く周知すべき性質のものである…。
…と、稚内空港搭乗手続きカウンターでうけた“勧誘”の様をあらためて振り返りながら、以上のような、お堅い結論にいたりました(汗;)
で、このように考えると、1階受付カウンターの女性職員がわざわざ2階まで見送りにきていいたこと。そして、機内サービを完全スルーされたことも、自分の中ではなんとなく、そう、なんとなくですが…繋がります。(繋がる理由の細かい説明は割愛します^^;)
ということで、もしカウンターの壁面に、稚内空港の上記のような特殊事情を反映した特別ルールや協力依頼の告知文が張ってあれば、自分も、機内持ち込みにこだわることはなかったのですが…。
(ただ、この件については、ANAあるいは稚内空港に問い合わせることはしていません。あくまで、旅客機内で遭遇したサービス関連の残念すぎる経験と、その原因(心当たり)について、想像したことを記述したまでであります。)