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 ラジオな時、ノマドな時。〈Ver.2〉

「ネステレンコ論文」の抄訳(要約的抜粋)


 まず、私が(勝手に)「ネステレンコ論文」と呼んでいるものは、


ECCR Chernobyl 20 Years On 」(英語論文集 PDFフィル全259ページ。3,954KBと大容量pdfなので閲覧・DLは注意)所蔵のネステレンコ父子による論文「第12章 チェルノブイリ大災害20年後のベラルーシにおける放射線生態学的な結果と人口の長期放射線防護の必要性 CHPTER 12 Radio-Ecological Consequences in Belarus 20 Years After the Chernobyl Catastrophe and the Necessity of Long-Term Radiation Protection for the Population 」中の「第1節 ベラルーシの住民に対する短期放射線防護措置の実施の分析 1. Analysis of the implementation of short-term radiation protection measures for the Belarusian popula」


をさしています(P.185〜p.210、pdfファイルではP.193〜p.218)。ということで、正式なタイトルはこのようにかなり長いので、あくまで便宜的にですがそう呼ぶことにしています。
  で、以下は、上記の"ECRR Chernobyl : 20 Years On"の第12章第1節(ネステレンコ論文)の抄訳になりますが、厳密には、翻訳した中から抜粋した箇所を構成に沿って並べたもので、要約的な抜粋になります。チェルノブイリ大災害時のソ連とベラルーシ共和国等の対応に個人的な関心があったので、該当する箇所を (翻訳後の)抜粋という形で、自らの社会勉強のためにまとめてみました。


 ちなみに、なぜその部分(第12章第1節のみ)を翻訳したかという動機ないし理由については、こちら(のパート2の「ついでに〜」)とこちらにそのきっかけ(=チェルノブイリ事故後の“そのこと”について詳しく知りたい!という思い)を記載していますが、たしかに、その種の“実験”を示唆する記述箇所もあるように思います。
 また同時に、3.11におけるわが国の対応だけでなく(だからといって、よしとするわけではないですが、三島さん改め)三島由起夫先生のおっしゃる「国家の保護観察機能と権力防衛機能」の実例がここにも胎動していることがうかがえます。

 なお、この翻訳は(人名のファミリーネーム以外の省略を除いて)完璧を期してはいますが、翻訳(英文和訳)のプロではないので、細部に私の気づかない誤り(誤訳等)があるかもしれないことを申し添えます。また、上掲の貴重な論文を著わされた両ネステレンコ氏および同論文(を含む書物)をインターネット上に公開されているスタッフの方々に対し、この場を借りて、心から感謝申し上げます。

 <以下は、「ネステレンコ論文」の抄訳(翻訳後の要約的抜粋)>


ECRR 2006年:20年後のチェルノブイリ 第12章「チェルノブイリ大災害20年後のベラルーシにおける放射線生態学的帰結と住民の長期放射線防護の必要性」(第1節より抜粋)
【著者】V.B.ネステレンコ教授、環境問題専門家A.V. ネステレンコ

1. ベラルーシの住民に対する短期放射線防護措置の実施の分析
 1986年4月28日と29日、ベラルーシ共和国科学アカデミー(INE)の原子力研究所は、住民のためのヨウ素予防対策の実施と原発から100km以内で生活している全住民の再移住について提案した。

 1986年4月、我々の提案は受け入れられなかった。その後、政府がヨウ素予防策を実行し、原発を囲んでいる30キロメートルの地帯から人々を移住させることに決めたのは5月初めのことだった。その5月、数百名の子供たちは、ロシアの汚染されていない地域に連れていかれた。
 事故後最初の数か月間に、被災地から住民を移住させるという決定をしたあと、地方自治体は以下の方策をとりはじめた。労働資源が彼らの土地を離れこれらの地区で新しい住居地用の建築促進を認めないこと。
 そのような間違いの一つのよい例は、党のマギリョフ地域委員会と地域執行委員会によって行われた決定であるーーチェリコフ地区に移住地マイスキーをつくり同地区の入植地チュダニイとマリノフカの住民たちをそこに再移住させた。その結果、新しい移住地の住民は、40〜80Ci/km2以上の汚染濃度のあるところで、従来の個々の区画(新しい入植地Mayskyから3〜5km)にしたがって農業生産をはじめた。

 1986年の夏、ベラルーシ農業生産省の農薬部局の参加を得て、ベラルーシの南部全域で土壌サンプルを得ることができた。そして9月から10月にかけて、ベラルーシ南部地域(農村部)の農園の放射線汚染地図が作成された。
 37kBq/m2以上のセシウム137による汚染地域に住んでいるベラルーシの人口は2,105,200人(500,000人以上の子どもを含む)であった。国土の4分の1あまりと共和国人口の5分の1あまりが影響を受けた。
 今日、ベラルーシのチェルノブイリ地区は、歪んだ人口構造によって特徴づけられる。大事故後数年間に135,000人が移住したが、少なくとも200,000の人びとが難民になることを強いられ、あるいは自分たちの汚染された居住地に残った。最初に去った者は若者、知識人、熟練した専門家や関係者だった。いくつかの影響を受けた地区では、年金受給者が人口の約70%を占めていた。
 その地域の放射能汚染は農業において深刻な問題、とりわけ、農業生産とそれらの土地で生産された地元食材の放射能汚染を引き起こした。すべての農地のうち約20%(160万ヘクタール)が1Ci/km2以上のセシウム(Cs-137)汚染にさらされた。1986年から1990年まで、257,100ヘクタールの農地が作付地から除外された。
 ベラルーシでは汚染地域での活動を実施中に多くの過ちが、住民に対する効果的な保護措置の欠如を伴いながら行われた。 これらの過ちは、モスクワにあるチェルノブイリに関する政府委員会の命令に従って行動しているモスクワとベラルーシ当局からなる合同政府による誤った指導の結果であった。モスクワの官僚は、ベラルーシへの損害の規模が大きくなかったことを全世界に示すため、汚染地域での生活の安全性に関する誤った図を描くことに忙しかった。

 以下は、続いて起こった怠慢の例である。
 1986年6月13日、ソ連国家農業生産委員会(Gosagroprom)委員長クズネツォフは、「放射能汚染地域に関するベラルーシ共和国における農業生産実施のための臨時的推奨事項」を受け入れた。これは、線量率が1時間あたり5マイクロレントゲンから20マイクロレントゲンの間にある第3区域内の土地でさえも農産物の生産を許可した。年間を通じてその地域で住んでいる地元住民は、これらの放射能汚染食品の地域依存性のために大量の放射性核種を蓄積することとなった。
 同じくクズネツォフが受け入れた「1986年度の調理肉生産に対する2.0*10-7から1.0*10-6 Ci/kgの放射性物質を含む肉使用の推奨事項」は、とても残酷で冷笑的なものだった。ソーセージのセシウム137許容濃度レベルは、クリーンな肉と18,000から37,000Bq/kgの間のセシウム137濃度で放射能汚染された肉を混ぜ合わせることによって達成された。
 1986年6月24日に同じ者たちが「放射能汚染された動物由来の羊毛の一次処理のための臨時的推奨事項」を受け入れた。ベラルーシ共和国全体における羊毛の初期処理のための唯一の工場は、ゴメリ地方のジュラビチにあった。したがって、その企業で「クリーン」な羊毛と「汚染された」羊毛を同時に加工した後では、すべての羊毛はけっきょく放射能を帯びたものになった。

 1986年7月23日、ソ連国家農業生産委員会委員長代理ロマネンコは「ロシア共和国、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国の放射能汚染区域に集積した1986年度収穫の豆と草飼料の購入、受入、蓄積、消費の手順に対する臨時的推奨事項」を受け入れた。
 穀物生産を続け、放射性の豆で牛を養い、アルコールを作るために穀物を使い続けることが奨励された。それゆえの牛乳と肉のセシウム137汚染、そしてついにーー人びとにも。それらの奨励に基づいて、ベラルーシ共和国の国家農業委員会は、同国の穀物生産担当省と共同で、およそ100万トンの放射能汚染穀物が処理され、養鶏場と養豚場で使われた。
 同時に二つの省庁は、ゴメリとマギリョフ地域の17地区のリストを承認した。この穀物はできるだけセシウム137濃度レベルが3700から370Bq/kgになるよう継続的な線量測定にかけられなければならなかった。

 1988年3月、ソ連国家農業生産委員会委員長、ムラコフスキーは、「1988年から1990年におけるロシア共和国の一部区域、ウクライナ共和国及びベラルーシ共和国の放射能汚染状態における農業導入指針」を承認した。
 この指針は、茅場と牧草地に毎年1.5倍に増量したリンとカリウム肥料の施肥、牛の繁殖の継続、菜園で果物・野菜・ジャガイモの放射性核種を減らすために100m2あたり2〜3kgの重過リン酸石灰および3〜4kgの塩化カリウムと硫酸、石灰材とゼオライト(100m2につき200kg)の使用を提案した。
 家禽のローカル飼料の使用は制限されていない ーー 屠殺の1か月ないし1か月半前に、汚染がないかわずかに汚染されただけの飼料で育てられるならば。牛と豚の繁殖と肥育についての制限はない。だが、予定されている屠殺の1か月半ないし2か月前には、牛は屋内に置かれ汚染のない飼料で育てられるべきである。
 ガイドから明らかなように、連合体の専門家は、汚染された飼料による肥育がすべての種類の生産物の汚染を引き起こす事実があるにもかかわらず、どんな手段によってでも汚染地帯での生産続行を求めた。
 ゴメリ農業委員会によって行われた指示に従って、1987年から1990年まで企業当局は、草や穀物が牛の餌に使われるために蒔かれた再移住地帯に人びとを送りこんだ。

 1989年9月、92人の科学者の一団(5人のベラルーシ人を含む)が、放射能汚染区域内で安全に生活する計画に関連した危険なゲームに参加した。彼らはミハイル・ゴルバチョフに請願した。その嘆願書で彼らは、ソ連放射線防護全国委員会(NCRP)によって承認された生涯35remの線量は、広島と長崎だけでなく1957年の放射性廃棄物の保管に起因する事故に影響を受けたロシアのチェリアビンスク地区における住民の健康状態の長期的な検査に基づいている、と主張した。
 彼らの嘆願書で著者は、移住地からの住民の再移住が行われるべきであり、そこでの線量が生涯35remを超えていても、いかなる制限もなく住民は通常の生活状態を再開することができる、と主張した。これらの提案は、IAEA、WHO、NCAREそして国連によって承認された。

 1989年6月24日に、科学アカデミーの会議で、私たちは「生涯線量35rem」の考えを受け入れるよう説得された。そして私のレポート中にペレリン博士は、住民にクリーンな食品と放射線防護を提供するための資金が不足しているため、私たちが生涯70〜100remを受け入れるべきであると宣言した。
 チェルノブイリ事故後に汚染された地域に住むという新計画は、年間0.1rem(1mSv)の許容限度が受け入れられなければならないことを示唆していた。1991年では0.5 rem (5mSv)/a、1993年では0.3 rem (3mSv)/a、1995年では0.2 rem (2mSv)/a、1998年では0.1rem (1mSv)/aといった段階的な目標に沿って。

■参考■
チェルノブイリ原子力発電所事故とは、1986年4月26日1時23分(モスクワ時間※UTC+3)にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。(Wikipedia「チェルノブイリ原子力発電所事故」より)

ECRR:欧州放射線リスク委員会

1キュリー(1Ci)=370億ベクレル(3.7E+10Bq)=3.7×10^10Bq ← 放射能
1rem=10mSv=0.01Sv ← 等価線量
1レントゲン(R)はそのまま ← 照射線量

それぞれの単位の人体に深刻な影響を与えるとされるレベル(数値)について、そしてチェルノブイリ、フクシマそれぞれの過酷事故に伴う法的対応の比較については以下のページを参照
◎ チェルノブイリ法のゾーン区分と日本の比較表 – みんなのデータサイト
https://minnanods.net/learn/zoning-chernobyl-japan.html

なお、CiとBq、remとRとSvの換算についてのより詳しい情報は以下のページを参照
◎ 放射能単位換算まとめ(保存版)  院長の独り言
http://onodekita.sblo.jp/article/58542839.html


 <以上>

いまフクシマで進行中の避難しない(できない)生活実態が、重なって見えてしまいます。


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