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 ラジオな時、ノマドな時。〈Ver.2〉

自作品たちの「創作日記」(その1)







2022-05-10


 きのうは昼下がりから、マクドの隠れ家で2時間ノマドした。
 月曜日の午後3時前後、さすがにお客はあまりいなかった。コメダが 激しく値上げしたいま、最良のノマド先はやはりここだな。ただし、平日の昼下がり2時間ていど。最近は動きやすい態勢になったので、けっこう足を運びそう な気配。きのうも、周囲に誰もいないので、気が散らなくて、けっこうシゴトの成果が上がった。連日同じ所に行くのは趣味じゃないから、きょうはどうしよう かな。あの図書館のPCコーナーは使えるようになったかな? いまはどうなっているか見てこようか。

 ということで、午後から、ほんと久しぶりに図書館に行ってみたら、1階奥のPC(持込み可の)作業コーナーはやっていた。何人か人が座っている。さっそく受付カウンターに行って、利用手続きをしようとしたところ、係員の女性が「ご利用されますと、ひとり退出していただくことになりますが、よろしいですか?」と訊かれた。
 席が満杯のときは、現在の利用者のうちもっとも長時間利用して人が席を譲るルールになっている。でも、空いている席は充分にある。
「空いている席がありますけど?」
 私が訊き返すと、
「感染対策で、隣の席を空けることになっていますので」
 ソフトな笑みとともに、答えが返ってきた。
(なるほど、そういうことか。先客を“追い出し”てまで居座る必要はないな。偵察しにきたようなものだからな)
 そう思った瞬間、
「あ、いいですよ」
 私は反射的に言葉を返して、その場を離れ、出口へと向かった。そして、思った。
(それにしても、どうして、“追い出していいのですか?”みたいな訊き方をしたのだろう?)

 ……とまあ、こんな感じで、30席ほどあるうち半分程度しか使えない情況のよう。以前は昼下がりに行ってもいくつか空いていたものだが、14〜15席ていどならすぐに埋まるし、ルールにしたがって、泣く泣く“肩たたき”に遭う人も多いだろうな、と思ったことでした。
 となると、コメダの行きつけ2店のうちどちらかか、あるいは、きのう行ったノマド先No.1となった例の隠れ家マクドにまた行くか……。どちらも気分が乗らなかったので、この日は部屋にもどって、いつもの作業をすることにした。
 いまは、草稿執筆という最高にセンシティブでナーバスな心裏情態下での「作業」を続行する必要があるので、最近また騒がしくなりはじめたコメダのコーヒーラウンジも、この作業には向いていない。そう、値上がりしただけが、足が遠のく理由じゃない(笑)
 やはりこんなときは、ミニバンの後部シートをフラットにして、道の駅駐車場や河川敷公園あたりで、ゆっくり作業できる環境もあったらいいな、と思ったしだい。いずれこのタイプに買い替える予定ではあるけれど、いまそうするかどうかのタイミングを考え中。
 で、どうすんのさ?!
 え? そ、そうだな……ど、どーしよっかなぁ?




2022-05-06

 さて、そういうことで、LibreOfficeで開いた「作品A用エッセンスシート.xlsx」を元に、ベタ書き草稿のガイダンスとするために、まずは、複数の曼荼羅チャートの組み合わせによって物語全体を見渡すことができる鳥瞰的ネタ出しシートを可及的詳細に創りあげ、この作業が一通り終わったら、隣のストーリーライン対応階層型アウトライン・シートのなかに、なるべく具体的なシーンを書き込んだシートをガイドラインとして、筆耕作業をおこなうことにしています。
 で、きょうは、英訳作業以外はほぼ「鳥瞰的ネタ出しシート」のコンテンツづくりに集中していたのですが、筆耕作業と同じで、なかなかスイスイと先に進みません。薮をかき分け道なき道をひたすら歩くの感ありありのありすぎです(笑)
 というのも、この草稿制作作成という筆耕作業においては、神経をすり減らしながら文章世界を創りあげてゆくのが当たり前なので、センシティブでナーバスな環境(心裡情態)にみずから身を置くことになります。いわば、見た目「完全な引きこもり情態」が、業務遂行の一環として不可避のものになっているわけです。
「ほんと、あんたも好きねえ…」の極みですが、この因果な作業が自分のシゴトのコアをなしているので、こればかりは……逃げるわけにはいきません (`・ω・´)キリッ

 ということで、あの、β波炸裂のラジオ局の番組は、この1週間まったく聞いてない情態が続いています。というのも、あの局の番組を聴きだすと、いろんな意味で自分のシゴト(=私事=Shigoto)への集中がおざなりになって、どうも‘遺憾’ですね……‘遺憾遺憾’。
 なので、聴きたい誘惑を抑えながら、すくなくとも「草稿の仕上げ」まではたどり着きたいな、と思っています。というのも、先に書いたように、シゴトのなかでも「草稿制作作成」は、もっともセンシティブでナーバスな作業になるので、β波を脳に取り込みながら筆耕作業を続けるなんて芸当は(すくなくとも自分には)無理な話なんです。
 で、いまがちょうどその時期にはいっているので、草稿を仕上げるまで一貫して、その環境を維持する必要があります。なのでたとえば、あの、生活感満載な「ラジオな時」にどっぷり浸るのは、(シゴト上興味ある一部の番組〔観光ボラ番組と夕方生放送〕の録音/聴取を除いて)少なくともそのあとになりそう。となると、やっぱりお盆明けくらいになるのかな…。
 
  そんなわけで、その作業に集中している期間は、トークなしでジャズやクラシックを24時間流しているラジオ局が世界中にたくさんあるので、そのときの気分で、あちこちのラジオ局にチューン(tuning in)しては、ちょっとしたカフェにいるみたいな気分で、目の前のシゴトにいそしんでいます。
 ちなみに、その際の使用マシンは、じつはパッド8と同型のラジオ聴取専用のタブレットをもっていて、このなかにインストールしたAndroid用のラジオ聴取アプリ(「シンプルラジオ」というやつ)をもとに、世界中の興味ある放送局103局を「お気に入り」に登録して 、ワンタッチで切り替えながら聴いています。そういう意味では、自分にとっての「ラジオな時」は、いまも少し形を変えて続行中と言えますね。 
 



2022-05-05

 草稿基礎固め用ブログのデータ群から、一気にrtfベースの草稿執筆へと移る前に、ブリッジとして、この段階で改めて作品を鳥瞰できるツールがあったほうが、執筆作業での無駄な逡巡が少ないと思われるので、ほとんどお蔵入りになりかけていた「PC用《章話制作システム》」から、コアとなるワークシートファイルの中の使えそうなシートを3枚抜き出し、これを別ファイルとして再構成して、ブリッジの役目を果たしてもらうことにしました。名づけて「エッセンスシート.xls」。
 このスプレッドシート型データファイルは、 最新?データ形式の「エッセンスシート.xlsx」で保存すれば、パッド8でも読み込んで編集できるので、rtfファイル同様、旧いマックOSのマクブックンでこしらえた物語創作用データファイルたちが、Androidタブレットのパッド8でも見れて編集できるという、コンパチブルな環境が実現できたので、かなり満足です。
 でもこれで、めでたしめでたしハイ終了、ではなくて、これはあくまで「環境整備」の話なので、本番はこれからです。ガ、ガンバルゾ!(^^;




2022-05-04

 PC内の「iTEXT Express」で保存したrtfファイルをパッド8に複写して、それを「OfficeSuite」で開いてみたら、レイアウトはもちろん文字色もそのままに表示できたよ。背景色を黒にしていたので、それも変えたら、PCでのファイル表示がそのまま再現できた。もちろん編集もできる。できないのは縦書きくらのものかな。
 つまりこれって、縦書表示&同編集にこだわらなければ、わざわざノマド先や駐車したクルマの中にノートPCを持ちこまなくても、タブレットのパッド8だけで執筆を続けることができる、ということ。データファイルがrtfタイプだからできることなんだけど、これはいいね!
 で、いま気づいたんだけど、ブログ編集画面のうち、HTMLタグ編集画面ではなく、 WYSIWYGな見たままの編集画面は、rtfフォーマットなっているみたいだね。新しくこしらえた別ブログサービスによる3つめのブログサイトでは、WYSIWYGな編集画面のことを「rtfで表示」を表記しているので、なるほどそういうことかと、了解したしだい。
 どおりで、画面をそのままコピーして「iTEXT Express」でそのまますぐに表示できるわけだ。まだ、確証は得ていないけれど、たぶんそういうことだと思う。この雷風呂だけでなく忍風呂もそうなんだろうな。…ま、創作と英訳の両方で長いつきあいになるから、そのうちわかるだろうな(^^)



2022-05-02

「作品A」の草稿素案を基にした草稿の骨子が固まって、いよいよ草稿の執筆にはいる運びとなりました。つまり、この作業が世間様のいう「原稿書き」になります。
 万年筆を手に持って、四百字詰め原稿用紙に文字を書き付けながら、行き詰まっては頭をぼりぼり掻いて、挙げ句の果てには原稿用紙を荒々しく丸めて、投げ散らかす……といった、ずいぶん昔の文士たちのアナクロニックな姿。あの情態にはいることになったわけです。あー、やっとここまでたどり着きましたよ。
 で、自分の場合、使うツールは、PCの中に入れている「iTEXT Express」という、いまや旧式なMacでしか使えないけれど、優れもののフリーテキストエディタ。
 草稿筆耕の段階からは、MacOS9対応SheepShaver上の「EG Word」という、超優れもの有償ソフトでいこうと思っていたけれど、「草稿素案→草稿骨子」のコンテンツデータがブログエントリとなっているので、シンンプルにこれをコピペすればそのまま忠実に再現してくれる「iTEXT Express」のほうが、スムーズに草稿作成作業に移れることがわかりました。
 なので、3/7時点の方針をちょこっと変更して、草稿執筆ではこれを使うことにし、「EG Word」は草稿完成後に控える数次(5〜7回の予定)の推敲で活躍してもらうことにしました。

 それから、このエントリの2/25時点では、作品の途中での「視点交替」を考えていたのですが、これはやはり、物語の進行上すこし無理があると思われます。
 なので、この路線は没にして、当初考えていた主人公の視点ではなく、かといって作者の「客観的」な視点でもなく、ちょっと特殊な情況に置かれた副主人公級の人物の視点で、一貫して描くことにしました。
 さて、そいうことで、いよいよです。がんばります!(汗;)




2022-04-27

「作品A」のいちばんコアなパート、第3章第1節2。岩盤の本格掘削をはじめよう。
「え?まだやってないのかよ!」と自分ツッコミ^^;
 発破を仕掛けるのにちょっと手間取ってね……。でもセットは終わったし、いよいよ点火だ。
 これで、ディテールへの途が拓けるはずだ。
 あとは、第2章第2節2と第3章第2節2にも、かるく発破をかけなくてはならない。前者は、この物語のコアをなす第3章第1節2の直接的な伏線となるパート。後者は第3章第1節2をうけてもっともホットなアクションが展開されるパート。
 両者とも細かいシーンを張り合わせ、積み重ねてゆけばいいパートだけど、ここはキーワードによる切り込み作業は必要ではなく、それぞれメインとなるシーンを序破急と3枚ほど立て、その間を細かいディテールで埋めてゆけばいい作業になる。
 けれど、手始めにまず、発破をかけないとね。そう、自分にね^^;




2022-04-23

「作品A」のいちばんコアなパートの骨格ができあがった。そこはテーマと直結したところ。場所的には、前回もふれた第3章第1節2。
「え?まだそこかよ!」と自分ツッコミ^^;
 やっと、厚い岩盤に穴をあけることができたな……。その穴は、あるひとつのキーワードで表される。でもそれは、ここでは内緒(^^;
 それに、そのキーワードを梃子(てこ)として、岩盤の表面にディテールを彫り込んでいかなくてはならない。これからやっと、そう……いよいよ、そのアートな作業に取りかかることになる。ということで、この先も愚直に前進するしかないな。




2022-03-22

「作品A」の第3章第1節2は、まるで岩盤のように、固い/硬い/堅いコンテンツなので、これを突きほぐし、こねくり回して、文体的に充分に柔らかくしていかないといけないときに、8インチのパッド8では、この作業はまったく乗れなくて、13インチのマクブックンはできなことないけれど、生活に密着した事柄をさまざま扱っている関係もあって、どうも乗れない。
 そこで、電子出版とDTMの制作用に控えているアイマックンで編集画面を開いてみたところ、これが予想外にいける…。岩盤のように固い/硬い/堅いコンテンツの元になっている、箇条書きのままのアイディアやシーンたち。そして、むき出しなままの資料たち。これらを様々に切った貼ったしながら、文芸作品っぽい文体(スタイル)に彩られた物語世界に変換してゆく。
 このけっこう困難な作業が、まさに岩盤のように行く手に立ちはだかっているわけですが、20インチのアイマックンだと、それこそトンンルを掘るときのあのシールドみたいに、グリグリと突き進んでくれる感覚がある……。まあそんな手応えを感じることができるので、「いける!」と踏みました。
 ちなみに、作品のすべてがこんな「岩盤」ではなくて、むしろ“スカスカ”な箇所が多いので、どんな風にディテールを書きこんでゆくか……。このほうが割合的には多いわけですが、この作品はいわゆる「社会派テーマ小説」であり、テーマ性のもっとも凝縮された部分が第3章第1節2になります。
 なので、草稿制作作成の前段では、ここを攻めに攻めて、他の箇所と馴染みのある柔らかい文体(文章群)に仕立て上げることが目標となります。そして、それを担当するのがアイマックンということで、このデスクトップPC、持っててよかった(笑)



2022-03-21

 いま、アイマックンで書いています。いい! ナイス!
 この記事は13インチのマクブックンで書いているけれど、文芸作品の原稿は、おなじこの編集画面だけど、20インチのアイマックンのほうが格段に書きやすいな。
 ちなみに、ここでいう「書きやすい」というのは、ただ文字を打ち込むだけではなくて、求めている“文芸的な表現”が、比較的容易に流れ出しやすい、ということ。
 これが、編集画面に集中すればするほど、出てきやすい。やはり、日本語の繊細な彩(あや)を追究しながら書き綴るには、8インチはもとより13インチでも窮屈感がありますね。
 どれも背景は黒、文字色の基本色は赤紫で書いてゆくわけなんだけど、やはり全然ちがう。画面が小さいほど短文になり、箇条書き風になりますね。13インチのこの画面も、事務的な文章が最適な感じです。
 さて、休憩はこのあたりで切り上げて、アイマックンにもどるかな(笑)



2022-03-14

 パッド8で書いている「作品A」の草稿素案。ラジオドラマ脚本形式でスケッチしているけれど、これを作業用ブログに写してみたよ。WiFi経由でパッド8の中のブログにデータをコピペしてゆくんだ。
 前もって、章ごとにエントリーを作っているから、該当箇所にデータを貼りこんだあと、今度はブログ内で細かいところを書きこんでゆく。いま、「作品A」この段階だね。
 で、ここで使うPCは、マクブックンではなくアイマックンになるね。マクブックンは、3つのブログの更新やHPのメンテのほかに、日常生活に密着した生活必需品でもあるので、これ以上の役割をもたせたくないし、そもそも、創造的な営為が主体となる業務は、それにふさわしい、シンプルな環境のほうがいいんだよね。
 なので、草稿素案を元にブログである程度草稿の内容を煮つめる作業と、これに続く本格的な草稿の仕上げは、どちらもアイマックンでの「執筆作業」になってくるんだ。そう、むかしの作家なら、原稿用紙にペンで書き付けては、しわくちゃにして何度も書き直していたあの作業(まあ、その光景って映画かTVドラマの誇張なんだろうけど…笑)。
 



2022-03-13

 草稿を書いてゆく際の「草稿素案から草稿完成における前段の筆耕=草稿素案の骨子を固める作業(雷風呂縦書版:非公開の作業用ブログ)」を、雷風呂の別ブログで進めているけれど、思っていた以上にいい感じ。
 いよいよ長文を書き連ねるとなると、パッド8の8インチ画面ではちょっと見づらい感じがあるな。10インチあたりになると、少しはいいかもしれいないけれど、キーボードをブラインドタッチで打鍵できないと、思考が止まりやすくなるし、浮かんだイメージも消えやすくなるね。
 タブレットに外付けの無線キーボードをつなぐ方法もあるけれど、かりに10インチ・ディスプレイであっても、長文の連続入力作業では窮屈感が否めないような気がする。やはりノートPCレベルの13インチはほしいな。
 それにこの作業は、文字入力に特化したテキストエディタやブログ編集画面のほうが格段に取り組みやすいので、草稿作成から推敲の作業をノマドでおこなうときは、以前のように、このマクブックンをカフェまで連れてゆくことになるだろうな。
 そのときはついてきてね。よろしく(^^)




2022-02-25

 並行三作の筆頭作「A」が、やっと筆耕モードにはいれそうだ。へたするとB級いやC級サスペンスに堕してしまう“未必の故意”な「秘匿された殺人性」。
 これをどんな手法で、破綻なく表現するか…。ずっと考えていたけれど、先日ノマドしているときに、ふと閃いた。この作品世界には、準視点人物である主人公ともう一人、副主人公ともいうべき登場人物がいる。彼女は動くことのない眠ったままの存在だけれど、この人をもう一人の準視点人物にして、作品構成上いわば重箱式の二重視点にすることで、主人公も意識することなく内包する「秘匿された殺人性」を描きだすことができる、と直感した。
 ということで、いよいよ作品「A」を書きだす時がきた。まだ試行錯誤な処は残るけれども、キホンスタンスはこれで決まった。あとは技術上のテクニカルな問題になる。
 これで、「B」「C」などほかの作品たちの進捗にも弾みがつく。粛々と前に進もう。

 さてそういうことで、「目次」ベースで視点別コンテンツを追ってゆくと 、以下の5個のグループに分けられる。
《1》[1] ファーストシーン [2] 第1章第1節1・同2  [3] 第1章第2節 1
《2》[1] 第1章第2節2 …… 視点交替
《3》[1] 第2章第1節1・同2 [2] 第3章第1節1・同2 [3] 第4章第1節 (1)
《4》[1] 第4章第2節 (1) …… 視点交替
《5》[1] エピローグ(エンディング)

 これを「起承転結」スタイルで細分化すると、以下のような構成になる。
《1:起 》[1] ファーストシーン
《1:承1》[2] 第1章第1節1・同2
《1:承2》[3] 第1章第2節1
《2:転1》[1] 第1章第2節2 ………<視点交替>
《3:承3》[1] 第2章第1節1・同2
《3:承4》[2] 第3章第1節1・同2
《3:承5》[3] 第4章第1節(1)
《4:転2》[1] 第4章第2節(1)……<視点交替>
《5:結 》[1] エピローグ(エンディング)

 以上から分かるように、「起」〜「転1」が前編、残りの「承3」〜「結」が後編という位置づけで捉えることもできる。実際に創作(筆耕)を進めていくに当たっては、このような“指標”があったほうが、少なくとも自分の場合は先に進みやすい。
 以上、よい“分析”になった。これを作品「A」のワーキングフレームとして、執筆をはじめたい。
 ウォッホン!(*Oノ ̄*)

 え? なにえばってんねん?(`×´)ノ

 いえ、えばってなんかいなっすよ(^▽^;ゞ

 
 

2022-01-18

 電子書籍出版物については、基本的に英訳版も出すつもりです。ただし、出展先のマーケットプレイスは、米国のAmazon.comになります。で、どちらかというと、ここでの出版に力を入れてゆきます。その際、Amazon.comでのペーパーバック出版も簡単にできるようであれば、こちらも取り組む予定。
 どうせ出版するなら、万国共通語である英語でも出してみたいし、英語の紙書籍も容易に出せるのであれば、書き言葉の表現者として、取り組まないわけにはいかないですよね。
 そういえば、5つ電子出版しているうちの1作品はすでに英訳はしていましたね。これは掌編小説なので、短時間で英訳できました。

    For ebook publications, I will basically publish an English translation. However, the exhibitor's marketplace will be Amazon.com in the United States. So, if anything, I will focus on publishing here. At that time, if it is easy to publish paperbacks on Amazon.com, I will also work on this.
    If I publish it anyway, I would like to publish it in English, which is a universal language, and if I can easily publish English paper books, I can't help but work as an expressor of written language. 
    Come to think of it, one of the five electronic publications had already been translated into English. This is a very short story, so I was able to translate it into English in a short time.



2022-01-17

 現在、早期の執筆を目指して取り組んでいる作品には、上携「B」のほかにもう1作「C」があります。これは3部作もので、過去2千年余り前から近未来にいたるまでの時間の堆積のなかで蠢く、いわゆる「陰謀」の系譜に焦点を当てた物語群です。
 3部を通底するテーマは、まさに「陰謀」そのものであり、これは大きく構えれば「神と悪魔の闘い」を扱ったものでもあります。

 ここでいう「神」も「悪魔」も西欧型のクリスチャニズム的あるいはグノーシス的な、言い換えればロゴス的存在のそれらに限ったものではなく、もっとずっと広範な意味においての「神と悪魔」です。
 言い換えれば、「人間=人間存在(Human-being)=動物性(Human-nature)+人倫(Humanity)」に本源的に宿る「神と悪魔」です。これには、Human-natureにおける「natureの領野」がとりわけ深く関与しています。そこには「悪魔」が蟠踞していますし、いっぽう、Humanityは「神」へと連結しています。
 この物語群では、このことを明らかにすべく、様々な時代背景のもとでそれぞれの運命を生きる人間群像を、リアルなディテールの積み重ねにより描き出してゆきます。
 ところで、この物語群における一貫した「敵」は、いわゆる「現進NWO」です。今から2千年以上前も現在も、この「敵」の本質は変わりません。つまり、われわれ人間存在に害をなす「悪魔」そのものでして、この系譜は不変です。

 さて、ここまで大上段に構えたけれど、“書くぞ書くぞ詐欺”で終わらないよう、いまはまず緻密な設計図、いわゆるプロットの制作(錬磨)を続けています。
 そしてこの作業に当たっては、ただのやんちゃなB〜C級SFアドベンチャーに終わってしまわないよう、充分気をつけないといけないと思っています。
 ということで、ここで少しずつ、プロットの概要を書き記してゆくことで、よりいっそうの進捗と手応えを得ることができればな…と思っているところです。
 ということで、この作品の創作メモについても、日記風に随時追記してゆきます。



2022-01-16

 きのうふれた「尊厳死/安楽死」をテーマとした作品を「A」とします。で、きょうふれるのは作品「B」。これは、原子力発電の事故に関する物語。
 この「原発」の抱える問題は、まったく単純な世界ではなく、複数の要素が重層的に絡み合っている、極めて“特殊”な世界と言っていいでしょう。なので、この「世界」を一方向からシンプルに腑分けすることはできません。
 この「原発ワールド」は、おおむね以下の項目からなっていると、私は考えています。

 01 医療・健康面(低線量被曝/内部被曝)
 02 危険施設(防災/テロ対策)
 03 電力供給面(経済不合理性〔地域独占、発送電独占、総括原価方式など〕)
 03b 廃炉・廃棄物処理時の巨大な負の遺産
 04 電力会社(閉鎖市場内擬態的株式会社)
 05 核開発能力の秘匿的保持
 06 労働環境(危険労働と闇手配と多重的中間搾取)
 07 国のエネルギー政策と原発利権による固執
 08 国際核マフィア(IAEA/ICRP等)との緊密連携(WHOも加担)

 Ⅰ:被曝関連
  「フクイチ事故由来の内部被曝と健康被害」
  「健康調査という名の低線量被曝経過に関する社会実験」
  「放射能による食品汚染と流通状況」
  「除染と環境汚染状況」
  「フクシマからの避難と帰還」
  「放射性ガレキの拡散とその後」
 Ⅱ:核技術関連
  「フクイチ事故対応の現状」
  「フクイチ事故の真相究明」
  「チェルノブイリに関すること」
  「放射能の基礎知識」
 Ⅲ:核発電事業関連
  「原発金まみれの実態」
  「電力会社のイビツな姿~地域独占・発送電独占・総括原価方式・核開発能力保持~」
  「核発電と核燃料サイクルと核開発」
  「原発と労働環境」

 参考図書は、おおむね以下のとおりです。
<ステップ1>
『FRIDAY 6/29増刊号 福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(講談社発行)、『季刊「社会運動」No.429 あれから7年、福島の現実』(市民セクター政策機構 発行)、『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』(日野行介 著)、『3.11万葉集 詠み人知らずたちの大震災』(玄 真行 著)、『3.11万葉集 復活の塔』(彦坂尚嘉ほか二名 編著)

<ステップ2>
『ドキュメント 東京電力 福島原発誕生の内幕』(田原総一朗 著)、『週間東洋経済 2012 2/18 東京電力 偽りの延命』(東洋経済新聞社発行)、『別冊宝島1796 日本を脅かす! 原発の深い闇』(宝島社発行)、『別冊宝島1821 日本を破滅させる! 原発の深い闇2』(宝島社発行)

<ステップ3>
『原子力 その隠蔽された真実 人の手に負えない核エネルギーの70年史』(ステファニー・クック 著)、『原発の闇を暴く』(広瀬隆・明石昇二郎 共著)、『原発はいらない』(小出裕章 著)、『原発のウソ』(小出裕章 著)、『原発と権力 ー 戦後から辿る支配者の系譜』(山崎淳一郎 著)

 あと、これらに加えて、多数のインターネット掲載記事と、同じく動画情報があります。数百もの膨大な数にのぼるため、ここでの掲載は割愛します。

 以上のように、「原発」問題は多くの不都合な事象を重層的に内包しているため、これをまとめて一刀両断なり、あるいは逆に「ヨイショ」することは、いずれも不可能です。
 私は、「原発」という「発電施設」のもつ根本的な「秘匿性」と「虚偽性」に注目しながらも、「原発」という「フェイクな存在」が秘密裏に目指している「あの能力の保持」については、その「保持」に応じた「必要最小限」の運転を続けるべき、との立場です。
 と言うのも、核戦力を地上から一掃することなどできるはずもなく、「ゲームの理論」上、むしろ保有することが「自衛強化」による無益な紛争回避につながると考えますので。

 ということで、この「原発」問題については、この国の国情から発生するその「能力」の秘匿を原因として、あたかも黴菌のように派生し繁茂する、上記に列挙のさまざまの不整合、不都合あるいは「不正義」に対して、わたし流の物語手法によっていわば比喩的に迫ることで、その「能力」の存在とやむを得ない必要性(必要悪)を“示唆する”ことにしています。
 ただ、対象とする「原発問題」がそれ自体複雑で巨大にコングロマリット化した「利権」の山でもありますので、1作品でこれらを描ききることは困難でして、アプローチする分野を限定したいくつかの連作を繋ぎながらその全体像を浮かび上がらせる、という作業になるでしょう。
 そして浮かび上がるものが、その「全体像」の中心に上述の「能力」がこっそりはめ込まれている「影絵」あるいは「だまし絵」ライクな物語世界になるでしょう。

(参考サイト)◎ HP「章 曲 〜試みの文芸〜」>「まとめ」>「A福一事故と 原発関連記事のまとめ(分類前の時系列リスト)」 (ただし、現在コンテンツを復元中。その後さらに追加的更新を要す)



2022-01-15

「創作日記」といえば、アメリカの小説家スタインベックの同名の和訳本を少し読んだことがあります。
 あとは、天才三島由紀夫さんの『小説家の休暇』 。でもこれは、厳密に言えば「創作日記」ではなく、文芸的蘊蓄をちりばめたエッセーというべきもの。でも、文学的風味に満ちた知的な刺戟を得るには最良の書の一つといえるだろうな。

 さて、いまもっとも力を入れて書いているのは、「尊厳死/安楽死」をテーマとした医療裁判に関したもの(タイトルは秘密)。 この「事件」は現実にあった複数の裁判事案をもとに、新たな高層と設定でフィクション化したものだけれど、書きながら、テーマから導かれる「奥の深さ」に、いまさらながら愕然としている。
 そもそもの「書いてみたい!」と思わせたものがかなり皮相なもので、端的に言えば、医療を隠れ蓑にした快楽殺人、というミステリーネタ・レベルの興味本位なものだっただけに、いまは、なんという「大きくて深すぎるテーマ」に沼ってしまったのだろうと、少々後悔めいたものも感じているところです。
 けれど、十年以上もこの作品の創作プロセスに関わってきた関係で、いまさら、うなだれて「去る」わけにはいかないな。そう、意地でも仕上げる覚悟にはなっている。

 この作品は、法廷でやりとりする場面はほとんど出てこないけれど、作品の中心的モデルであることからもっとも参考にしている本『私がしたことは殺人ですか?』(須田セツ子 著)を読んでいると、「尊厳死/安楽死」についての深い洞察を求められるだけでなく、第1審、控訴審、上告それぞれの裁判の特質までも確認できるので、私にとっては「とてもよい本」という位置づけになっています。ちなみに、津田医師が起こしたとされる安楽死に関する事件は、川崎協同病院事件になります。

 それから、ほかの参考書籍としては、『安楽死か、尊厳死か あなたならどうします?』(大鐘稔彦 著)、『「尊厳死」に尊厳はあるのか』(中島みち 著)、『日本人の死に時』(久坂部羊 著)、『安楽死と尊厳死』(保阪正康 著)、『ファイナル・エグジット 安楽死の方法』(デレック・ハンフリー 著)、『安楽死のできる国』(三井美奈 著)、『安楽死』(阿南成一 著)、『善の根拠』(南直哉 著)、『生物はなぜ死ぬのか』(小林武彦 著)、『ヒトはどうして死ぬのか』(田沼靖一 著)。
 これらが、作品を書き進めるうえでの「参考図書」になっていますが、もっとも参考にしている本は、最初の4冊になります。
 また、最後の2冊はつい最近入手したばかりで、まだ読み終わってはいません。この2冊は、生命の科学的理解ためだけでなく、最近のウイルス感染の現象理解にも役立つ部分があるので、買い求めました。

 これらの本を読んでみて分かったことは、「尊厳死」と「安楽死」については、厳密な定義付けが必要なのにそれがなく曖昧なままであること。しかも両者は、同一レベルでは論じられない「人間の生と死」にまつわる「概念」ということですね。
 私の作品は、そこのところを踏まえて、さらに「殺人性」の側面でうかがえる、いわば“ファクターX”(作品の肝にあたる要素なので、ここではその具体的な説明は伏せます下記で少し詳しくふれています)にもアプローチを試みています。しかも、これがもっとも難しくて、この「描出」に成功するかどうかが、この作品の価値を決めると思っています。
 上記で「奥の深さに愕然とする」と述べたのは、まさにこのことを指しています。

 で、『私がしたことは殺人ですか?』と『日本人の死に時』で注目される点は、「尊厳」という観点から、「死を看とる医療(終末期医療)」の在り方であり、「死をサポートする医療/死の側に立つ医師」が求められているという認識を確認することができました。
 『「尊厳死」に尊厳はあるのか』は言っていることが全体的に不明瞭で、ジャーナリストを自負しながら多分に情緒に流されている叙述が散見されるので、わずかしか参考になる所はないですが、延命装置である人工呼吸器を外す際の「命の線引き」といわゆる「尊厳死」の兼ね合いを問題にしている、ということは分かりました。
 そして、『日本人の死に時』と『安楽死と尊厳死』では、“医は算術”的な病院経営の側面まで触れてあるところが、参考になります。とりわけ「延命治療は儲かる」といったあたり。
 ただ、参考図書のどれにも、医療従事者による「殺人性」の積極的実践に関するフォーカスはありませんね。
 これは端的に言えば、医療従事者における「未必の殺人(この医療行為を処置すれば患者は死ぬだろう、という認識)」を超えた“快楽殺人”的連続殺人の可能性に目を向けるわけですが、社会的に“表面化”した事例としては、射水(いみず)市民病院での連続呼吸器外し事案(不起訴)。そして、最近報道された、看護師による点滴連続殺人疑い事案(大口病院連続点滴中毒死事件、係争中)が挙げられます。また、『安楽死と尊厳死』のp.172〜p.174に記載の「事実」も対象になると考えます。そして、上記で“ファクターX”と呼んだものの具体例が、これらになります。
 この“ファクターX”なるものは、「生死に関する感覚の麻痺」を前提とした“暴走的”行為ですが、この「尊厳死/安楽死」の問題にアプローチするにあたって、じつは看過できないファクターだと、私は思っています。
 ただ、先にも書いたように、これを強調しすぎると、ただのB〜C級サスペンスなテイストに堕してしまい、“ファクターX”そのものが結果的に蔑ろにされてしまう恐れがあるので、そうならずに、そのファクターの存在が無視できないものとして「描き出す」こと。その「出し方、プレゼンス」は非常に難しいですね。でも、取り組みがいはあります。
 それから、「尊厳死」と「安楽死」の定義に関しても、これら二語のそれぞれの曖昧な定義がまかり通っている現状でのニュアンスが重なり合う混乱を排した、スッキリした定義付けをすでにおこなっていますので、これも作品を通じて「表現」することになり、これだけでも意味のある取り組みだな、と思っています。さ、ガンバルゾ(笑)

(参考サイト)◎ HP「章 曲 〜試みの文芸〜」>「章話」
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