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お腹がすいていたことと閉店が近いこともあって、すぐに食べはじめたのですが、しばらくして、食べる前に写真を撮り忘れたことに気づきました。
〈4日目〉5月30日火曜日:
● きょうはまず、稚内市立図書館を訪れました。瀬戸常蔵氏の“人となり”のわかる資料があれば、閲覧後コピーを取らせてもらいたいと思っていたからです。そして、これも今回の旅の目的のひとつでした。
そこで、午前9時の会館を待って、受付カウンターの方に、瀬戸氏の人となりの伺える資料があれば閲覧したい旨伝えたところ、
「調べてみますのでちょっとお待ちください」と言い残して、席を立たれました。
そこで、フロアでしばらく待つことにして、展示物を見ながら応答を待ちました。この日、フロアの展示コーナーでは、とある写真コンクール受賞作品のフォトギャリーになっていました。
数々の、じつに素晴らしい写真が展示してあって、一つひとつじっくり鑑賞することができました。かなりレベルの高い写真展でした。
で、そうやって心楽しいひと時を過ごしていたら、担当の方がフロアまで出てこられて、「こちらへどうぞ」と、奥のカウンターへと案内してくれました。
そこで、あらためて「旧瀬戸邸の主(あるじ)、瀬戸常蔵氏の“人となり”に関心があるので、それがわかる資料があれば閲覧したいことを申し上げると、やはり図書館でも「そのようなものはないと思います」とのことでした。
ただ、その代わりに、旧瀬戸邸にはない関係資料をいくつか見せていただき、必要ならコピーをとってもいいとのこと。
そこで、後方の資料室から持ち出して頂いたいくつかの資料を、その場で素早く閲覧したあと、5枚のコピーをお願いしました。ちなみに、ちなみに、モノクロなので1枚10円でした。
(丁寧にご対応していただき、ありがとうございました。今度は郷土史関連図書を閲覧したいな…と思っています^^)
さて、そういうことで、氏の“人となり”のわかるエピソードについて、いまのところ把握できているものとしてのは、氏のお孫さんに当たる方が、「FMわっぴ〜」の音声ライブラリで、祖父の生前のかすかな思い出を語っている音声データがあります。
あとは、「旧瀬戸邸」の学芸員さんがチラッと語ってくれた、市会議員をあえて1期のみで終わりにした“裏話”になります。
なので、氏の“人となり”のうかがい知るとしても、断片的なエピソードが“伝え聞き”レベルでわずかに残っているていどのようです。
北洋漁業をベースに国政中枢とも太いパイプをつないで大活躍された方なので、プライベートなことは本人の意志で封印されたのかもしれないですね…。
● 旧瀬戸邸を出たあとは、声問岬(こえといみさき)が気になっていたので、行ってみました。この岬は、日本最北の岬「宗谷岬」と稚内市北西端にノシャップ岬の中間にある小振りな岬で、左右の岬のように観光地化されてはいなくて、ふつうの住宅地のようですね。
岬の先端まで行くと車が1台停まっていて、左手(稚内港寄り)のちょっと離れた所で、盛んに写真を撮っている一人の男性がいました。
距離があるので細かい風貌まではわかりませんが、なんとなく欧米系の外国人のような雰囲気があります。もっているのは上等な望遠付きの1眼レフカメラです。男性は、なにかを探すかのように徘徊しながら、写真を撮っていました。
この岬からは、東は宗谷岬の先端近く、西はノシャップ岬の灯台まで一望できます。もちろん、眼前にはオホーツク海が広がっています。
この日は曇天でしたが、快晴なら、少々風が強くても、大海原(おおうなばら)とこれを挟むように延びてい左右の岬の景観を楽しむことができるでしょうね。
雄大な景色をしばらく観ていたら、件(くだん)の男性が、ときどき写真撮影で立ち止まりながらも、しだいにこちらに近づいてきます。もっと近まったら挨拶しようかな…とも思ったのですが、他に人気のない所で異国人風のカメラマンに気さくに話しかけるなんて自分にはムリだなと思い、その場から静かに去ることにしました。
声問岬から画面中央に百年記念塔、右手にノシャップ岬を望む(左の人影が件の男性)
● 声問岬から見た景色を目と写真に収めると、ちょうど真南にある「大沼」に行ってみることにしました。ちなみに、「声問岬」も「大沼」も予定どおりの訪問コースなので、きょうも順調に移動できています。
「大沼」へは、岸辺に建っている「バードハウス」の開館時間の9時をすぎたタイミングで訪れたけのですが、残念ながら閉館したままでした。ちょっと残念。
それにしても、湖のように広い沼です。穏やかな水面(みなも)を見ていると、なんとなく気持ちが癒されます。ここに着いたときは陽射しがもれていて、あちこちに咲いてるタンポポたちが、やわらかい陽の光を浴びて、黄色い花びらを輝やかせていました。
5月の終わりのこの日、鳥の姿は見えませんでしたが、ひとしきり写真を撮ったあと、車に乗って出発準備を始めました。
すると、1台のRV車が、ここに続く一本道をけっこうなスピードで走ってきて、「バードハウス」のすぐ横に乗り付けました。どうやら、自分みたいな観光客ではなく“関係者”の方のようです。でも、ハウスがすぐに開くのかどうかわからなかったので、またの機会に訪れることにして、先を急ぐことにしました。
上のパノラマ画像は、すぐ上の地図で示した位置から「大沼」をグルッと180度写したものをムリクリつなぎ合わせてみました。なので画面左右の道は直線状の一本の道路です。それにしても、湖のように広い沼です(^^)
【参考サイト】
◎ 定義が難しい「湖」「沼」「池」の違い – ニッポン放送 NEWS ONLINE
●「大沼」をあとにして、つぎの訪問先の「フナヤマ大黒店」に向かいました。稚内市の中心街のうち、JR南稚内駅のエリアにある時計宝飾店で、CD販売も取り扱っているようです。
お店のなかにはいると、時計宝飾店らしい煌(きらび)やかな雰囲気のなかに、CDコーナーが見えます。さっそくそこに行って、お目当てのCDを探していたら、ありましたありました。
このコーナーのちょっと奥まったところに、探していたアーティストの特設コーナーが設けてあります。
そのアーティストとは、稚内出身の兄弟デュオ「SE-NO」(セーノ)。そして、兄の「エビナマスジ」さんと弟の「蝦名摩守俊」(えびなますとし)さんですが、「SE-NO」のアルバムはひとつ持っているので、今回は、「エビナマスジ」さんのファーストアルバム「UPSTAIRS」と蝦名摩守俊さんのファーストアルバム「カルマ」を購入しました(価格はどちらも税込2,547円)。
お二人それぞれのCDアルバムを買うことも、楽しみにしていたことだったので、またひとつ願いが達成できて、とても満足です。帰ったらじっくり聴くぞー^^♪
【参考サイト】
◎ EBINA MASUJI OFFICIAL WEBSITE
◎ ebinamasutoshi official website
◎ SE-NO OFFICIAL WEBSITE
● さて、このあとは車で遠乗りです。西側の岬「ノシャップ岬」まで行き、そこから「オロロンライン」(のうち「宗谷サンセットロード」)を南へと走ります。ドライブにはもってこいの道です(^^)
去年秋のドライブでは、ルート40を下って、ちょっと豊富温泉まで足を延ばしたあと、西進してサロベツ原野にはいり、日本海側に出たあとは「宗谷サンセットロード」を北上して、稚内の市街地へと帰還したのですが、今回はその逆で、まずはノシャップ岬まで回ってそこからこの道路を南進したあと、途中から左折して「サロベツ原野」へと向かい、その中にある「サロベツ湿原センター」を目指すドライブにしました。
ちなみに、この道路の愛称「オロロンライン」は、なんと、北は稚内から南は約380kmも先の小樽までを結んだ海岸道路をさしているようで、自分が走る区間はその一部の最北の区間になります。
また、この区間は、お国(国交省)が正式に命名した「宗谷サンセットロード」のほぼ全区間になるようです。ただ、地元ではこの呼び名はあまり定着していないようです。「オロロンライン」が呼びやすいからかな^^?
(なお、「オロロンライン」と「宗谷シーニックバイウェイ」の一つである「宗谷サンセットロード」の関係性については、【番外編1】でさらに詳しくふれています。)
● 目的地の「サロベツ湿原センター」に着くまでは、抜海方面の西海岸を往復する予定なので、行きはゆっくり景色を楽しむことはしないで、なるべく早く到着することを心がけながら進むことしました。(ですが、もちろん速度遵守(じゅんしゅ)の安全運転です^^b)
そんななか、走りながら気づいたのは、まっすぐな道路の先端が水を打ったように“光って”いることでした。
もちろん路面は乾いていますが、舗装道路の視界の先端は平面に近い状態に見えていて、そこに陽の光が当たっていると、その照り返しがまるで、鏡の表面みたいに輝いて見えます。
そして、車やバイクがそこを走ると上下二つに見える…という、けっこう幻想的な光景をなんども見ることができました。こんな光景はいままで観たことがないので、かなり新鮮な体験になりました。
● さて、稚咲内漁港まで南進すると、思ったよりも時間が経っていて、すでに午後2時を過ぎています。はやり、最北端といっても北海道はなので広いです。全然道路がこんでいなくても、けっこう時間がかかります。
漁港の付近から左折して、いよいよ目的地の「サロベツ湿原センター」へと近づいてきました。この道も昨年走ったので、入り口の案内板まであと少しと思いながら進んでゆくと、途中で道路工事をしていました。
道路だった箇所がけっこう掘り下げてあって、片側通行の迂回路になっていたので、誘導に従って慎重にわたりました。なにかの配管工事なのかもしれません。
● そこを過ぎてあと数分走ったら、たしか「サロベツ湿原センター」の道標があるはずですが、なかなか見つかりません。「おかしいなあ…」と思いながら、さらに東に向かって走ると、小さな川にかかった橋のところまでやってきました。
ここまでくると、明らかに通り過ぎています。そこで、方向転換するために、橋の手前でいったん左折して、転回できる場所を探しながら北進していると、「お!」っと目を引く建物に出会いました。
緑の屋根に赤い壁。どちらの色も原色に近いのでかなりインパクトがあります。この色を配した2棟の大きな建物が、道路脇に建っていて、その先には牧草地が広がっています。牛を放し飼いにしている牧場のようで、奥の方には白と黒の乳牛たちがいるのが見えます。
道路脇に建つこのふたつの建物は農業用倉庫のようで、どちらも牛舎ではないようです。それにしても、この建物が目にはいった瞬間、その鮮やかすぎる赤と緑の補色の配色に、一気に目を奪われてしまいました。
そこで、車をすこし広がった道路脇に停め、しばらくの間、この建物と当たりに広がる牧場の景観を楽しむことにしました。
● さて、休憩もかねて、しばらくこの牧場の眺めを鑑賞したあと、ふたたび、「サロベツ湿原センター」の入り口を探すため、車を反対方向に切り返したあと、もと来た道を戻りはじめました。
しかし、矢印付きの案内看板はなかなか姿を見せてくれません。いつの間にか、先ほどの工事現場まで戻ってきてしまいました。
やれやれと、その手前でむりやりUターンし、さらに、いま来た道を東の方向へと引き返しました。こんどこそ見つけないと、明るいうちに帰り着くまでに、時間がなくなってしまう…。
すこしスピードを落としながら、あらためて、道の両脇に視線を注ぎながら進行していると、ありました、ありました。思っていたよりも小さな看板です。これを見て、「周囲の景観に配慮して、このコンパクトな案内標識になっているんだな…」と思いました。
● 標識の所から右折して南下すると、左右に長い「サロベツ湿原センター」にやっと到着することができました。
自分は方向音痴なタイプではあるけれど、こんなに手間取るとは思っていなかったので、カーナビをうまく使いこなせない自分になかば呆れながら、まずは駐車場でちょっと休憩しました。
そして、「FMわっぴ〜」の午後4時からの生放送あてに、いまいる所の報告などを書いたメール(メッセージ・リクエスト)を書いて、いつものように事前の送信をしました。
その送信を終えると、建物の中にはいって、展示物を観覧することにしました。 展示コーナーにはいろんな展示物やパネルがあります。
そのなかでも、ヒグマの剥製には迫力を感じました。こんなのと遭遇したら、ひとたまりもないですね。でも、冬眠してないとき(3月から10月までかな?)は、ちょっと山間にはいると、どこにでもいるのが北海道という所でもありますね。
この動物とだけは無縁でいたいものだと、この剥製を見ながら思ったことでした^^;
● さて、陽も傾きはじめていたので、そそくさと外に出ると、南側に湿原に向けて、木道(木製の観覧用通路)が設置してあります。さっそく木道の一つを歩きながら、先端に向かってどんどん進みました。
すると、やや傾いた太陽の方向に、利尻山がたたずんでいるのが目にはいりました。距離的にはけっこう離れているようで、小さい遠景でしたが、三角形状の美しい山稜がくっきりと見て取れます。
その美しい姿に惹かれて、逆行ではあるけれど、夢中で写真を撮りました。
それにしても広大な湿原。でも、湿った感じはあまりなくて、どこまでも広がる草地(そうち)のような印象でした。
あと、ここには、泥炭採掘用の見慣れない機械の野外展示や展示場もあって、これも興味深いものでした。
センター南側の湿原(定点撮影の6枚の写真を無理に繋いだので、肉眼での眺望とはやや異なります^^;)
サロベツ湿原の解説ボード 泥炭採掘用の機械
● さて、太陽がかなり傾いてきました。帰り道では、抜海駅にも寄ってみたいので、そろそろ帰途につかないといけない頃合いです。
ということで、センターを後にすると、ふたたび「宗谷サンセットロード」に出て、北上を開始しました。
前回、昨年9月にこの道路を北上したときは、台風が去った直後の風がものすごくて、道路から見える日本海は荒々しく波立ち、利尻島の美しいシルエットをゆったりした気分で観ることはできませんでした。
でも今回は、数か所あるひろい路側帯(たしか、業界用語は「ポケットパーク」と言ったかと…^^?)で一時停車して、あの凛とした勇姿をたっぷり鑑賞することができました。
● そうやって、写真を撮るために所どころで停車しながら北上を続けると、抜海までやってきました。そう、あの「抜海駅」がある所です。
海岸沿いの「宗谷サンセットロード」を北上すると、まずは「抜海岩」という奇岩が迎えてくれました。なかなかユニークな形をしています。
【参考サイト】
◎ 日本の奇岩百景プラス 抜海岩(ばっかいいわ)
● ちなみに、目指す「抜海駅」は海の近くにはなくて、すこし陸側にはいった所にあります。案内標識を見逃さないように慎重に運転してゆくと、駅舎が建っているのが見えました。
近づいてゆくと、駅舎の横にモトクロスタイプのスリムなバイクが1台停めてあります。
正面入り口手前の駐車スペースに車を停め、バイクの持ち主は中にいるのかな…と思いながら、静かに駅舎正面のドアを開けました。
でも、だれもいません。バイクの持ち主はここまで来たあと、おそらくここから電車に乗って、札幌方面まで出かけている、ということかもしれません。
この人気のない、こぢんまりした最北の無人駅は、駅舎の中もプラットフォームも小綺麗に清掃されていて、自分はいま、そこにただ独り佇んでいます。そんななか、この静かなひと時を独り占めしていられることに、そこなかとない充足感を感じていました。
● さて、時計を見れば午後4時になろうとしています。ここで、ラジオのスイッチを入れました。ラジオといっても、持参したノートPCで聴ける「サイマルラジオ」での聴取です。これだと、録音もできるので重宝しています。
で、4時からは、「FMわっぴ〜」の夕方の生放送(Swing Beat Jam)が始まります。いつも聴いている大好きな番組です。きょうの担当は「パーソナリティ・池田くるみ」さん。
番組のオープニング・ミュージックとともに、いつものチャーミングな声が聞こえてきました。そして、「サロベツ湿原センター」の駐車場で送信したメッセージが読まれ、リクエストがかかったのは、それからしばらくたってからでした。
この旅でもっとも感激した瞬間が訪れました。
抜海駅でこの番組を聴きいているだけでなく、番組へ書き送った自分の言葉とリクエスト曲をここで聴けるなんて、なんと素晴らしく、しかも贅沢なことだろう!
すでにに陽は傾いているものの、斜めに射しこむ陽の光は眩しくて、柔らかい光と音に包まれながら、至福の時間に満たされました。
そう、ここでラジオを聴いたのは、この瞬間を待っていたからもであったのです。でも、ここで番組の最後まで聴いていたら、かなり暗くなってしまいます。
やはり、日没までには稚内市内に戻りたいので、PCでのラジオ聴取は車の中でもオンにしたまま、抜海駅から去ることにしました。
ここを去るまえに、駅舎内にある備え付けの訪問者ノートに、抜海駅まで来れてよかったことをちらっと認(したた)めたあと、別れを惜しみながら、静かにゆっくりと離れてゆきました。
それにしても、ほんとうに素晴らしいひと時でした☆
左上から順に:抜海駅から北方向(稚内方面)を望む/駅舎内から出入口方向の眺め/備え付けの訪問感想用ノートなど/駅舎外観(プラットホームから写す)
左横:駅舎入口の看板
〈5日目〉5月31日水曜日:朝から晴れ
● 朝から晴れています。きょうもいい天気になりそうです。この日はまず、前回は時間がなくて歩くことができなかった「文芸の小径(こみち)」を真っ先に訪れることにしていました。
午前8時半、さっそく車に乗って、稚内公園へと向かいました。公園に乗り入れると、そのまま「開基百年記念塔」の駐車場まで、九十九(つづら)折りの坂道をのぼってゆきました。
自分も短歌を詠むので、展示されている歌碑を見るのが楽しみでした。小径は、百年記念塔の敷地東側から、けっこう急な下り坂ととなって下方に伸びていました。その先端は、車でのぼってきた道につながっています。
そして、「文芸の小径」の両脇には、短歌の歌碑と俳句の句碑がずらりと並んでいます。全部で50基くらいあるでしょうか。短歌ほうがすこし多いようです。
いいなと思う作品がいくつかありました。(あとで、いくつか紹介します。)
● 「文芸の小径」で作品たちを鑑賞したあとは、「百年記念塔」を訪問をしました。二度目になりますが、前回は夕暮れ時だったのに対して今回は朝9時の訪問です。
玄関左横の受付で入館料400円を払ったあと、正面にあるエレベーターに乗りました。「開基百年記念塔」は通称としては「百年記念塔」と呼ばれていて、地上80m、海抜250mのタワー型の展望塔ですが、最上階の展望所は地上70mの所にあります。
ここから観る景観はなかなか見応えがあります。運が良ければ、サハリン(旧・樺太)が見えるようですが、見ることはできませんでした。
でも、天気がよかったので、清々しい気分で、稚内市街地、宗谷岬、利尻島、礼文島を一望することができました。
ちなみに、前回は日没から夜景まで楽しみましたが、この塔はお天気さえよければ、朝昼夜いつきても「日本最北端の地」のいろんな“表情”を楽しむことができます。
また、地上部の2階建て部分は「北方記念館」と呼ばれていて、そこには、稚内・宗谷地域の自然や歴史にまつわる資料が展示してあり、ちょっとした博物館のようになっています。
ただ、この施設は4月から10月の7か月間だけ開いていて、美しい夜景が見られるのは6月から9月までの4か月間のようです。
【参考サイト】
◎ 開基百年記念塔・北方記念館/稚内観光情報 最北のまち稚内
● さて、「開基百年記念塔・北方記念館」を出ると、日本最北のコミュニティFMである「FM
わっぴ〜」さんを“表敬訪問”するために、高台の稚内公園からいったん市街地に降りたあと、そこから東へ約6kmの道のりを車で移動しました。
「わっぴ〜」さんの事務室とメインスタジオは、「風〜るわっかない」という市の施設(生涯学習支援センター)の2階にあります。
午前10時半頃到着すると、持ってきた心ばかりの差し入れを手にして、いそいそと2階の放送局に向かいました。2度目の訪問になりますが、ちょっとドキドキしています。ほんのちょっとだけ訪問するだけなので、アポは取っていなくて、「突然やってきた」というカタチになります。
● ということで、お忙しい最中に、お邪魔にならないようチラッとお邪魔したわけですが、そんな中にも、杉谷賢俊局長、パーソナリティ・さっちーさん、パーソナリティ・池田くるみさんには、親しく接していただきありがとうございます。
その際、メインスタジオの中まで観させていただき、さっちーさんと池田くるみさんには、記念写真まで撮らせていただき、感謝感激です。こんなに親しく接していただけるのなら、またこようと思いました(笑)
そのときはもちろん、“差し入れ”のはいった大きな段ボール箱を抱えて^^b ちなみに、今回のメインの“差し入れ”は、前回のように事前に滞在ホテルへ送ったのではなく、生鮮食品なこともあって、通販業者から直送する扱いにしていました。
なので、前回みたいに、まるで配達人みたく段ボールを抱えて訪問はしませんでした。なお、着荷については、「わっぴ〜」さんを去ったあと、さっちーさんたちの生放送を車の中で聴きいていたときに、確認することができました。
(あと、このときの記念写真もここに掲載しようかとも思ったのですが、肖像権のことがあるので、それは割愛しています。)
日本最北のラジオ局(コミュニティFM)である「Fムわっぴ〜」
(杉谷局長さま、パーソナリティさっちーさま、パーソナッリティ池田くるみさま、お忙しいなか親しく対応していただきありがとうございましたm(_ _)m )
● さて、「FMわっぴ〜」さんを“表敬訪問”したあとは、いよいよ、この旅の後半のハイライトともいえる「エサヌカ線」(正式名称「猿払村道エサヌカ線」)のドライブです。
ラッキーなことに、お天気は抜群。最北端の初秋の素晴らしい晴天が、まるでこの日の長距離ドライブを祝福してくれているかのようです。
稚内から「エサヌカ線」に向かうルートはいくつかあるようですが、すこし遠回りにはなるけれど、宗谷岬まで行ってから、その同じ道(一般国道238号)のうち宗谷岬東岸沿いの通称「オホーツクライン」を南下することにしました。
わざわざ遠回りしたのには、二つの理由がありました。どちらも、前年秋の旅では、宗谷岬の「日本最北端の地の碑」には行ったけれど、行けなかった二つの場所があこのあるからです。
その一つは、「日本最北端の地の碑」の手前約3kmの海岸沿いにある「間宮林蔵渡樺出航の地」です。
ここのは、車を停められ充分なスペースがあったので、ゆっくりと記念碑や茫洋と広がる海原の写真を撮ることができました。そこに10分ほどいたら、その間に、観光バスが2台も駐車スペースに乗りつけては、2、3分ほど停車し、おそらくは車内で記念の地の説明があったあと、また、先を急ぐように走り去って行きました。
【参考サイト】
◎ 間宮林蔵渡樺出港の地/稚内観光情報 最北のまち稚内
● そして、二つ目の目的地がラーメン店の「間宮堂」です。ここは、前回訪れはしたものの、その日はあいにく閉店していたのでした。温帯低気圧になったばかりのもと台風が、前日、この最北の地を通過したばかりで、この日も強風が吹いていたので、この日も臨時休業していたのでした。
ということで、今回やっと、念願の「帆立ラーメン」(1,000円税込)を食べることができました。まずは、店内入り口にある食券販売機で購入したあと、カウンターでオーダーをすませると、海の見える窓際の席に座わりました。
お店は午前11時から午後2時半までの短時間の営業。なので、早めにこれてよかったと思いながら、海の見える景色や店内の様子を見ていると、やがて「帆立ラーメン」が運ばれてきました。
麺は固めの黄色い縮れ麺。帆立が麺の中に鎮座しています。こりこりした感じの舌触り。ふだん、帆立を食べる機会がなく、ラーメンの具で食べるのは初めてなので、ちょっと贅沢な気分。
スープが上品な仕上がりで、とても美味しかったので、レンゲで隈無くすくって残らず啜りました。うーん、また食べたい(^_^)
● 間宮堂をでると、すぐ隣にレストラン兼ゲストハウス「アルメリア」があったので、寄ってみたけれど、この日は開いていませんでした。でも、この日は快晴で、とてもお天気がよくて眺めもいいので、「エサヌカ線」に行くまえに、しばし、青く澄んだオホーツク海と空の青、そして、宗谷岬の蒼い草原の広がりを愉(たの)しみました。
● さあ、いよいよ、ここ、宗谷岬公園から、猿払村の「エサヌカ線」に向けて出発です。この旅のメインイベントの一つである「エサヌカ線」への湯距離ドライブ。好天に恵まれて、ベストコンディションとなりました。
まずは、宗谷岬公園公園からいったん下に降りて、一般国道238号線、通称「オホーツクライン」にはいり、この道を南下して「エサヌカ線」に向かいました。
この道をひたすら南下しました。走りはじめて間もなく、左手に広がる海の色は濃いブルー。この色、深みのある青をマリンブルーというのでしょうか。美しいのひと言。
しかも、きょうはとてもお天気がよくて、風もつよくない。なんという素晴らしいドライブ日和だろう!
すると、道路の近くの海の中に荒々しい岩肌むき出しの小島がありました。「この岩の小島、なんという名前だろう?」などと思いながら、ちょっと車を停めて写真におさめました。
さて、さらに南へと走っていたら、ちょっと喉が渇いたので、途中にあった「猿払パーキングシェルター」でいったん停車。自販機にかけよって、レモン味のミネラルウォーターを買いました。
これをあっという間に飲み干すと、さらに南進。すると、「道の駅さるふつ公園」が道路右手の方に見えたので、さらにこのミネラルウォーターを買うために、立ち寄ることにしました。
ところが、駐車場には自販機がなかったので、建物の中にはいって、入り口近くの自販機でミネラルウォーターを買ったのですが、なにが売ってあるのか気になったので、店内をちらっと見てみることにしました。
すると、珍しいもの、美味しそうなものがたくさん並んでいます。じっくり品定めしている余裕はないので、この中から「帆立カレー」「手造り にしん甘露煮」「宗谷の塩バター飴」を買いました。
ただこのお店、レシートはなかったので、代わりに宛名なしの領収書をもらうことにしました。金額は締めて1,680円(税込)のお買い物となりました。
ちなみに、どこの「道の駅」もおおかたそうですが、ここの販売店も例にもれず、対応はそっけないものでした。
もちろん、愛想よくすればいいというものではないですが、「道の駅」には、地方自治体が経営に大きく関与した、いわるる「3セク」がけっこうありますが、この、なんとなく無愛想な感じから、この「道の駅」もその典型なんだろうな…と思わせるものがありました。
(そういえば、自宅の近くの道の駅もこんな感じ…従業員に“活気”がないし儲かってるって感じはないな…)
【参考サイト】(2024年6月24日付けの記事)
◎ 約3割が赤字運営...進化した「道の駅」はいま:ガイアの夜明け | テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス
● さて、「エサヌカ線」へ向かう道中、道沿いに広い牧場がありました。牛たちが何頭もいます。乳牛のようです。道のすぐ横の柵の近くに、何頭か固まっている集団がいます。
すぐ近くで牛を見るのはなかなかないことです。幸いその道は、車の通行はほとんどない路線だったので、路肩に車を寄せて停車し、スマホのカメラで、車内から写真を撮りはじめました。
すると、おもしろいことに、牛たちはその場から離れるどころかゾロゾロと寄ってきます。とうとう、停めた車の前の柵の所に20頭ほど集まりました。おいしいものをくれると期待したでしょうか。
でも、さすがに、そんなことはできないし、もともとなにももっていなかったので、「じゃあね」とかるく手を振って別れを告げ、先を急ぎました。
● さてさて、目的の「エサヌカ線」へはかなり近くまできたはずです。ただ、この道、北側のからの入り口がわかりにくいので、通り過ぎないように慎重に車を進めました。
カーナビはレンタカーなこともあって目的地の設定ができないので、国道から左折する交差点の位置を覚えておいて、カーナビの画面でその位置を見逃さないようにしていると、いよいよその交差点に近づいたのがわかりました。
そして、首尾よくその交差点を左折し、おおむね道なりに進むと、「エサヌカ線」の北側始点とおぼしき地点までやってきました。
走り出す前に、まずはいったん車から降りて、道路や周囲の風景をカメラにおさめました。このエントリーの冒頭の写真は、このとき写した一枚です。
車に乗りいよいよ出発しようとすると、250ccくらいのバイクが1台現れたので、先に行ってもらって、ゆっくりとスタートしました。
もちろん、ピードを楽しむのではなく、どこまでもまっすぐな路(みち)とその周囲に広がる平原の眺めを楽しみながらの、ゆったりドライブです。この日はドライブにもってこいの好天なこともあって、ほんとに素晴らしいドライブになりました。
で、そんななか、「オロロンライン(宗谷サンセットロード)」を走ったときに見た“路面先端の水鏡っぽい反射”。あの光景をこでも随所に見ることができました。
写真は、幅広な路側帯(小ぶりなポケットパーク)に駐車して写した1枚です。道路の先端に路面鏡(ろめんかがみ ← 勝手な造語です^^;)が見えますが、一般道路でこのような“表情”を見ることは、自分の住んでいる所ではありません。なぜなら、ここまでまっすぐな道がそもそもないですからね。
今回のドライブでも、この“輝き”が見れたので、わが人生の中でも、最高レベルの素晴らしいドライブになりました。
【参考サイト】
◎ エサヌカ線|観光スポット|【公式】北海道の観光・旅行情報サイト HOKKAIDO LOVE!
● そう、「エサヌカ線」は、日本海側の「オロロンライン(の宗谷サンセットロード区間)」に勝るとも劣らないほどの「美しい道(自動車道)」でした。
そのときの感銘は、つぎのような詞(ことば)でしか言い表せません。
《…あの輝き…“路面鏡”と呼ぼうか…晴れた日のどこまでもまっすぐな路の先端に垣間みえるマジック…車道の先端が水を打ったように輝いていて…たとえば今そこを1台の黒い車が走り去ってゆく…そのとき車体が路面の“鏡”にも映って棒状に上下に伸びて見え…やがてその黒い柱は小さくなり視界から消える…するとほどなくして…やはり棒のように上下に伸びた黒い影が現れ…それは細い棒状に上下に伸びながら、やがて柱が“変身”する瞬間が訪れる…そう…“路面鏡”を抜け出たときバイクの姿がそこに現れ…大型二輪が向こうからまっすぐ走ってくる…このように車もバイクもあの“路面鏡”のなかで上下に柱のように伸びるから…それが視界に現れてもすぐにはどちからわからない…そんな“魔法”を観るのが好きだ…》
● さて、「エサヌカ線」の北側起点までリターンすると、左折して、もと来た道の「オホーツクライン」を北上して、帰途につきました。
で、当初は、このまま「日本最北端の地の碑」までもどり、その近くにある「BASESOYA(宗谷岬展望台)」に立ち寄ったあと、いまや有名な観光名所となった「白い道」を通って、稚内市街地へと帰還する予定でした。
でも、車を走らせながら、乗車初日に付けてしまったらしい車体右下方の、一本のうすい擦り傷がずっと気になっていました。
稚内市街地東端の国道238号の右側車線を走ったときに、中央分離帯に近づきすぎた一瞬があったのですが、どうもその時についてしまったのかな…って感じです。
そこで、急きょ予定を変更して、途中から北海道道「稚内猿払線」にはいり、宗谷岬を北西方向に斜めにショートカットする形で、ダイレクトに稚内市街を目指しました。
行く先はあの有名な百均(ダイソー)です。まずはそこで、車体磨き用のコンパウンドとクロス(布)を手に入れる必要があります。
● ということで、途中から左折して走りはじめたこの「稚内猿払線」。よく整備されているけれど、へたすると突然飛び出した鹿と衝突しかねないような山間(やまあい)の道だけに、つねに左右に注意を払いながら走りました。
こうして、午後5時頃、目的の百均(ダイソー)に到着しました。日没になると細かい修復作業ができなくなるので、すぐさま店内にはいり、カー・コンパウンドと車拭き用のクロスを探しました。
でも、クロスはすぐに見つかったものの、肝心のコンパウンドが見つかりません。そこで、近くにいた若い店員さんに商品がどこにあるか訊いたけれど、「コンパウンド」という言葉そのものを知らないようで、ポカンとした顔をしています。
すると、やや年配の女性店員さんが近寄ってきて、彼女の代わりに応対してくれたので、「車用のコンパウンドを探してます」と改めて告げたら、「車用ではないですがコンパウンドならこちらにあります」と商品棚まで案内してくれました。
食器用磨き用のコンパウンドならキメが細かいので、充分使えます。とある商品を迷うことなく手に取って、急ぎレジに行き、支払いをすませるとすぐに車に戻って、まずは副港市場に向かいました。
● この時期、稚内の日没は午後7時頃なので、それまでに気になっている箇所を綺麗にしないといけません。車は明日は正午までに返却しなくてはならないので、あすの朝、悠長に作業している余裕などない情態です。
そこで、副港市場の東側の駐車場に車を停めさせてもらうと、さっそく少量のコンパウンドを洗車用クロスに付け、車体右下の気になっている箇所をゆっくりと拭いてみました。すると、横長の細い擦過痕(さっかこん)を数回かるくなぞるように拭いただけで、跡形もなく消えました。
さて、これで気になっている箇所は完璧によくなったのですが、まだ、まわりは充分明るいので、「道の駅わっかない」でもある「キタカラ」の、ドライバーが堂々と車を止められる駐車場まで移動して、そこで、さっきの作業の成果をじっくりと再確認しました。
するとそのとき、車体の側面だけでなく、フロント部分にもたくさんの小傷が付いていることに気づきました。このスズキアルト、レンタカー歴が何年かはわかりませんが、運転席の硬い感じだけでなく、この傷の具合を見ても、歴戦の勇士であるのはまちがいないようです。
この時点ではまだ明るかったので、「じゃあ、ついでにほかの傷も取ってあげよう…」と思ったのですが、その前にちょっと行ってみたい所がありました。
● それは、スイーツショップ「オレンジエッグ・キタカラ店」というお店ですが、駐車場のすぐ隣に建っている「キタカラ」の1階にあります。
そのお店まで歩いて行って、お気に入りのシカパン(餡とクリーム各2個、170円×4個)」と、ソフトクリーム(バニラのワッフルコーン)を買いました。
このうち、ソフトクリームは、セレクトショップそばの休憩エリアのカウンターで食べたのですが、すごく美味しかった。この街では、とてもコクのある新鮮な牛乳(隣接の豊富町産など)が飲めるので、ソフトクリームもひときわ美味しく感じますね。
● さて、外に出ると、まだ午後4時をすぎて間もない頃合いで、まだまだ充分に明るかったので、さきほどの補修作業の要領で、車のフロント部分を中心に見られた小傷たちを拭き取ってみました。
すると、どれもこれも案外簡単にとれたので、けっこう小綺麗な感じになりました。今回もすでに300km以上走っているので、車体を磨きながら、「ありがとさん^^」と労をねぎらっているみたいな気分になりました(ほんと、われながらお人好しです…笑;)。
…さて、あすの正午には、頑張ってくれたこの車ともお別れです。
● このあと、夕食をとるために、予定していた「うろこ亭」まで車で行きました。このお店は、午後5時をすぎると正面入り口は閉まるようで、右手の奥の方に回ると、カウンター席に直結した入り口があります。
でも、そこしか開いてないときは、すでに予約客でいっぱいのようで、飛び込みの客ははいれないのが常のようです。前回(昨年9月)はそんな感じでした。
なので、2回目のトライとなる今回は、ちょっと早めの夕食にはなるけれど、4時半頃に突撃風に行ってみたら、正面入り口がまだ開いていました。ラッキー!って感じです(笑)
で、奥のカウンター席に座ると、港のよく見える椅子に陣取りました。まだ、ほかのお客さんはいないようです。たぶん、このあとは、6時くらいから予約のお客さんたちが、どっとやってくるのでしょう。
このお店では、予定どおり「うろこ市丼」(2,300円税込)を食べました。海の街だけあって、海産物が新鮮で美味しい! この料理もずっと食べてみたいと思っていたので、今回じっくり味わえて大満足です^^v
● 料理が思ったよりも早く出てきたので、食べ終えたのはちょうど午後5時でした。なので、正面入り口から退出して車へと向かい、副港道路を西に走ってホテルへと帰還につきました。
さて あしたは、ついに旅の最終日を迎えます。…そう思ったら、早くも名残惜しい気分が湧いてきました。
〈最終日〉6月1日 木曜日:
● さて、きょうは5泊6日の旅の最終日。いつもよりちょっと早めに目覚めると、荷物の整理をすませて、8時半にチェックアウトしました。
今回利用したホテルは、最北の街稚内でもっとも高級感を誇っている「サフィールホテル稚内」。その11階のいちばん西側の南向きの部屋に5連泊しました。
この部屋、朝目覚めるとすぐ、開基百年記念塔からノシャップ岬方面が一望できる、眺望抜群な部屋でした。
海原が広がる北側よりも人々の住む街の見える風景が好きなのでナイスでした。部屋そのものも広くてゆったり気分で過ごすことができので、申し分のない宿泊先でした。
このホテルでは、理念の交換は、ベッドのうえにその意志を示す白いカードを置いておくかどうかで、チョイスすることができました。
ただ、交換してもらいたかったけれど、うっかりベッドに置き忘れて外出したことがあったので、前もってしっかりメモっておくなり、忘れないような工夫をしないといけないな…と、学習しました(笑)
それから、目を引いたのは、バスタブが大きいこと。欧米の外国人仕様なのかな?と思いました。蛇口の造りも独特で、使い慣れるのにちょっと時間がかかってしまいました(苦笑)
この豪華仕様のホテル、12階の展望ラウンジナやイトバーには行かなかったので、ちょっぴり心残りかな…。でも、展望は百年記念塔で満喫したし、独りでバーに行く趣味はないしね。ただ、また利用する機会があったら、12階からの展望を愉しんでみたいな(微笑)
● 午前8時半すぎにホテルを出ると、まずは副港市場に寄りました。ここは「最北旅行」をするときのHUB(ハブ)になっています。
まだ9時前と早いので、広い駐車所もたっぷり空いています。正面玄関の近くに駐車すると、建物の中にはいり、1階右手のフロアに安置されている大型テーブルに歩み寄り、そこに陣取ると、ノートPCを取り出して、充電しながらちょこっと仕事をしました。
仕事といっても、ネットニュースのチェックや、きうまでの旅日記の加筆くらいのものですが(^^) このフロアには、あの楽しい絵柄のストリートピノアが置いてあります。でも今回は、テーブルから遠目に眺めるだけにしました。
適当な即興じゃなく、ちゃんと弾ける曲をいくつかマスターしたら、バリバリ弾こうと思います。できれば即興に流れない、“きちんと^^”楽譜にした自作のピアノ曲も、弾けたらいいけどなあ…。
● さて、10時になるのを待って、2階の「樺太記念館」を訪れました。ここは、今度の旅では2度目の訪問になりますが、今回は、ビデオ映像シリーズ6作品のうち、まだ観ていないNo5を鑑賞するために訪れました
ちなみに、樺太記念館自体は、昨年9月に1回訪れているので、通算3回目の訪問になります。
さすがに3回も訪れると、樺太と当時の日本の関わりがある程度わかってきました。「やはり、『樺太』という南北に細長い島の、少なくとも南半分(北緯50度以南)は“日本国の一部”なんだ」という思いを、ますます強くしました。
というより、その思いは自分の中で「確信」に変わりました。
● ビデオを観たあと、入口そばの図書コーナーで何冊かの本に目を通していると、11時になりました。 11時になると、1階西側の「てっぺん食堂」が開店します。
正午までにレンタカーを返却しなければならないですが、そのまえに、ちょっと早めの昼食をとることにしました。
このお店は今回の旅では2回目の利用になりますが、なかにはいると、今度は個人客用のエリアに案内されました。
そこで、昨年秋と同じテーブルに座ると、今度は「エビ天とじ定食」1,200円(税込)を注文しました。レンタカーの返却が待っているので急いで食べましたが、このメニューもなかなか美味しかったです^^♪
そういえば今回は、「はい、伝票」と言って、店員さんが、料理と一緒に請求伝票もわたしてくれました(^^)
で、ちょっとせっかちな感じで食べ終わると、代金と伝票をしっかり持って、位置的には斜め後ろのちょっと離れたレジまで移動し、「ご馳走様でした^^」と言って、支払いを済ませました(^_^)
● さて、腹ごしらえをすませたら、いよいよ、スズキアルトともお別れです。15分先のレンタカー返却先まで車を走らせました。
ちなみに今回は、キタカラで買うお土産(オレンジエッグの「シカパン」)は先に買っていたので、充分な余裕をもって、返却場所(チセキ石油潮見給油所)に向かうことができました(^^v
● 期限の15分前にはチセキ石油潮見給油所に着いて、レンタカーを返却したのですが、GSなのでその場で満タンにできるのは便利です。
今回の走りでは、エサヌカ線を往復したこともあってか、昨年秋以上の、374 kmも走っていたのに、ちょっと驚きました。でも、スズキアルトは非常に燃費がいいので、返却時の満タン費用は、思っていた以上に安くつきました。
アルトは評判どおり、すごく燃費がいいので、ガソリン高騰のご時勢のなか、これだけ走っても3千円もしませんでした。なので、走行時の振動や騒音はこれで帳消しかな…て感じです(笑) ということで、イマイチな乗り心地を差し引けば「軽」もわるくない…と思ったことでした。
ガソリン代を払ったあとは、レンタカー会社(チセキ石油「ちょいのりレンタカー」)から稚内空港へ送ってもらいました。送迎がサービスで付いているので、ほんと助かります。
ところで、今回、会員になったからか、あるいは、車体がすこし綺麗になっていたからか、その両方からか…出発するときには、社員さんが笑顔で見送ってくれました。その笑顔に家約会釈を返しながら、次回もまた使わせてもらおうと思いました^^b
● さて、稚内空港に着くと、さっそく搭乗手続きをはじめたのですが、事前にスマホで手続きをすませたはずなのに、前回と同じで、今回も空港での対処の仕方がわからなかったので(苦笑)、けっきょくチェックインカウンターで済ますことにしました。
そのとき、重そうに持っていたバッグを見て、係員の女性職員から「お預けにやりませんか?」と、やんわりと勧められました。
「できれば持ちこみたいのですが」と答えると、「風が強いと飛行が不安定になるので…」と、一歩引いたような、よかったら…といったような言い方でした。でも、預けてもらうことに“こだわり”があるような雰囲気を感じなくもありません。
ただ、手荷物は、機内持ち込み可能な2個にまとめていたし、そのうち1個はたしかに重いといっても約7kgで、制限重量も寸法も超えてはいません。
自分としては、航空機利用で手荷物を預けるのは、到着先の空港で荷物を回収するために待つのは避けたいのと、荷物が身近にあることで、ノートPCなど、いつでも中身を取り出せる情況にしておきたいので、その範囲にまとめていたのでした。
なので、その“ソフトな勧め”はさらっと断って、これまでそうしてきたように、大小二つのバッグを2階の出発ロビーまでもっていき、ホールディングルームにはいる前の、手荷物検査を受けるために行列に並びました。
すると、その行列の先端のチケット改札機のところに、1Fカウンターで搭乗手続を担当してくれた女性職員が立っていて、乗客たちをにこやかに見送ってくれていました。
それを見て、「わざわざ2階まで上がってきて乗客の見送りをするなんて、彼女はグランドスタッフの統括責任者なんだろうか。いずれにしても仕事熱心だな。だから、あんなに食い下がったのかもな…」などと思いながら手荷物検査のゲートをくぐりました。
ちなみに、このバッグには、冬物のアウターやといった衣類の他に、ノートPCや電源関連機器、そして、若干のお土産がはいっていますが、一つ一つは重くなくても、一つにまとめれば7キロもの重量になり、しかも、どうにか肩にかつげる中型のソフトバッグは、パンパンに膨れ上がっていました。
なので、預けた方が楽ではあるけれど、可能なかぎり荷物は手元に置いておきたいのと、手荷物回収の手間を省きたいという思いが先立って、ちょっと重いけれど、機内に持ち込むことにしたのでした。
● 手荷物検査をスムーズに終えると、ホールディングルームにはいり、登場案内を待っていると、やがて出発案内がありました。
そこで、重い荷物をひきずるように携(たずさ)えて、ボーディングブリッジを渡り、機内の指定の座席に到着しました。そして、シートに座る前に、重い荷物は座席上の荷物棚(オーバーヘッド・ビン Overhead bin)に、気合い入れて一気に押し込みました。
ここまですませると、(はあぁぁ〜)っと、いちばん窓際のシートに、倒れこむように座りました。これでやっとゆっくり寛(くつろ)げます。
● さて、いよいよ、稚内を離れるときがしました。この日は風はすこし強ったようで、出発時刻は少しおくれましたが、飛行機は慎重に離陸したようです。
そして、風の強さや風向きを見ながら慎重に離陸体勢にはいる飛行機のようすを、自分自身機内でじかに感じて、
「そうか…そういうことだったのか。カウンターで手荷物を預けるように勧められたわけは、たぶん、このことだったんだ…」と、このとき身をもってわかりました。
航空会社設定のフライト基準は満たしているけれども、「現場」としては、年間を通して風雪の影響を強く受けやすい「稚内空港」でのより確実な安全確保のために、手荷物はなるべく、機体底部の荷物預かり庫に入れてもらいたい。なぜなら、それがより確実な「安定運行」につながるから。
どうやらそういう趣旨から、常日頃から風の強いこの空港では、独自の特別規則として明記・明定されたものではないけれど、いわばローカル・ルール的な対処として、そらくは現場の判断で「手荷物預かり」を勧めている。そんあふうに思われます。
(ただ、本当にそうなのかどうか、「稚内空港」に確認まではしていません。もし、「明定された特別ルール」があるのであれば、それはカウンターに明示して常時告知すべきだし、担当者も対応時に、その「独自ルール」を明確に伝えるべきですが、そのどちらの対応もありませんでした。なので、そういう明確なものはないのだと思われます。)
● 帰りの飛行機は右側の窓側を予約していました。窓から南北海道や東北の山並みを見るのは、この空の旅の楽しみのひとつでした。
九州と関東の間は、空路でもなんどか往来したことがあるので、新鮮な感じはないですが、関東と北海道の空路は、今回が2度目の往復なので、珍しくてしかたありません。
雲の合間から見える北海道や東北地方そして北関東の山並みや点在する街並みを、ひっきりなしに写真に撮りまくりました。
(ここで、機内サービスのことで気になったことを別途追記:【番外編2】)
● 羽田空港では、出発遅延による搭乗口の急な変更のため、5分以上の長距離移動をする破目になりました。
この変更にはほんとに面食らいました。予期していなかったので、青天の霹靂なくらいのショック。とりあえず、近くを通った地上勤務の制服女性に、ここから変更先の搭乗口までどれくらいかかるか訊いたところ、すまなそうな表情を見せながら、5分かそれ以上はかかるとのこと。
けっきょく、左右に長大で巨大な“乗り場”のいちばん端っこから、もと来た道を大急ぎで引き返すことになりました。
でも、7キロもの重いバッグを抱えながら引き返すのは、かなり厳しいものがあります。そこで、近くにあった荷物用カートを借用して、ずっしりと重いバッグを気合いで荷台に乗せ、高い荷台からバッグが転げ落ちないように片手で抑えながら、建物中央付近の搭乗口まで小走りで移動を開始しました。
移動を始めた時点で、出発時間まで残り30分をきっていました。気分は焦っていますが、なるべく冷静を立ちながら、新しい搭乗口へと急ぎました。
そして、やっと指定の搭乗口までたどり着いたと思ったら、こんどは、エスカレータで降りなくてはならなりません。さすがにカートごと下に降りるわけにはいかないので、重すぎる荷物をカートから取り出して1階へと降りると、指定された搭乗口へと小走りで駆け寄りました。 すると、そこで待っていたのは2台の空港バスでした。時間がないし疲れてもいたので、何も考えないで手前のバスに乗り込みました。でも、バスはすぐに出発することはなく、もう1人か2人ほど、搭乗客を待っていたようでした。
「なんだ…自分より遅い人がいるのか…」と思いながら立っていると、バスに駆け込んでから数分後、バスはやっと走り出しました。
そして、このときはじめて、「あー、間に合った…」と、心の底から安堵したのでした…ホッ(^^)
● 羽田から宮崎空港へと向かう機内では、右側の窓側に座ると決めています。そう、富士山を見たいからです。待ちに待った富士山は、ほんのわずかに雪の残る黒い山肌を見せていました。
黒い富士山も、独特の存在感があってなかなかいいものです。飛行機の窓から見えなくなるまで、何枚も写真を撮り続けました。
● 飛行機はほぼ定刻に着陸しました。重い荷物をかかえながらボーディングブリッジを抜けて、1階のエントランスホールに降りたあと、外に出て、「バス停の先」と聞いていた場所までやってきました。でも、予約していたタクシーが見当たりません。
しばらく待ってみたのですが、予定の時間を過ぎても現れません。そこで、タクシー会社に電話したら、待っている場所が違うとのこと。「バス停の先」と聞いていたので、バスレーンの端っこで待っていたけれど、どうやらそこではないようです。
迎えのタクシー運転手から電話させるとのことだったので待っていたら、すぐに連絡があったので、あらためて場所を確認したら、思っていたよりも離れた場所でした。
なので、そこまでさらに100mほど、重たい荷物を抱えながら、まるで苦行僧のように歩くことになりました(汗;
ちなみに、タクシー料金は、空港待機のタクシーよりも若干安くつきました。といっても300円ていどですが。なので、「これならタクシー乗り場で乗った方が楽だったな…」と思ったりもしました。
ということで、旅行最終日の重い荷物は、最後の最後まで、文字どおり“お荷物”そのものでしたが、重すぎるからといって捨てるわけにはいかないので、自分の体力が充実していることに満足することで、心のバランスを取ることにしました(微笑)
(こんなこともあって、稚内空港で、この重い荷物をむりくり手荷物にしたことが、最後までなんとなく引っ掛かった旅にもなりました…苦笑)
::::::::::::::::::: (2024/08/01) 〜 (2024/08/07) :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
N/A

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去年の元日は「今年こそ思いっきり走らなくては」と希ったのですが
すでに感じていた「意外にむずかしい“疾走”…の年になりそな予感」が
当たってしまいました…
異常すぎる炎暑が直接の引き金となって
大幅にスローダウン
今年はそうならないよう対策を打ちながら
ノンストップで疾走しないといけません…(汗;)
On New Year's Day last year, I thought,
I have to run as hard as I can this year.
But I had already felt that
it was going to be a year of surprisingly difficult sprints...
And that got hit...
Since the abnormal heat wave was the direct trigger,
my pace became to be significantly slowed down.
So while taking measures
to prevent this from happening this year,
I have to run non-stop ... (sweat;)
Mi devas kuri kiel eble plej forte ĉi-jare.
Sed tion mi jam sentis
ĝi estos jaro de surprize malfacilaj spurtoj...
Kaj tio estis trafita...
Ĉar la nenormala varmondo estis la rekta ellasilo,
mia rapideco fariĝis signife malrapidigita.
Do dum prenado de mezuroj
por malhelpi ĉi tion ĉi-jare,
Mi devas kuri senhalte... (ŝviti;)
By the way, this kind of English translation work. Recently, if I'm going to produce an English translation with many of my own works, It would be better to mainly create and publish English-language works from the beginning, including not only the three works I'm writing now, but also the ones I'm planning.
日本語作品をいくら書いても読者の対象は日本国内の人びとに限られるときに、そもそも、本を出版したからといって、無名の者の作品をわざわざ購入して読んでくれる奇特な人など、いない。そんな、暇と小金のある人は、配信動画のドラマやアニメにお金と時間を費やして、鑑賞している。日本ではとくにそう。
There is no strange person who purposely purchase and read the work of an unknown person, because the book is published with the reader's object that is limited to people in Japan, no matter how a Japanese work is written. People with free time and small money spend money and time to watch dramas and anime of distribution videos. Especially so in Japan. However, when I am going to "publish" a work that "expresses" something by manipulating words, it is definitely an "act of expression", and it is a world that is read by more people (`・ω・´)b
"I published it, but that's it", I don't say that it's meaningless, but if you think that it's an act of expression including "publishing", I wish for you to download or pick up the work, whether it's paid or free, and to enjoy "the world of the work" that spreads there. Otherwise, the meaning to the publication remains "unlimitedly thin".
...... I thought so.
Of course, "Japanese draft" will be a Japanese version of the work as it is, so it will be possible to sell it as a so-called "novel" at Amazon.co.jp or Rakuten Books> ebooks.
でも、日本語版の作品たちを積極的に、日本国内のオンデマンド出版市場に出すことは控えることにします。理由は既述したとおり。ということで、察してね(笑) 私のこんな辛気くさい記事を読んでくれるあなたなら、わかるはず^^bHowever, I will refrain from actively publishing Japanese versions of my works in the on-demand publishing market in Japan. The reason is as described above. So, guess (laughs) If you read my such a spicy painful article, you should understand ^ ^ b
I remember...... I have to publish an English translation of the three novels that have already been published as e-books. Of course, the marketplace will be Amazon.com (USA).
で、まずは手堅く、短編の歴史奇譚ものから手がけることにします。すでに掌編小説1編を英訳本としてAmazon.comから出しているので、これが仕上がったら2作目になります。その際、もし、手続が面倒でないなら、紙書籍であるPaperback出版もやってみたいな……と思っています。So, first of all, I will start with a solid, short story of historical tales. I have already published one short story from amazon.com as an English translation, so it will be the second one when it is finished. At that time, if the procedure is not troublesome, I would like to try Paperback Publishing, which is a paper book .... I think so.
By the way, Paperback Publishing has been able to publish on-demand paper books that do not require inventory, under the name of "Paperback Publishing" since October last year on amazon.co.jp in Japan.
なので、すでに出版済みの、歌集と英語本をそれぞれ1編を含めた全6作品はどれも、「ペーパーバック出版」にも対応するつもりでいます。However, in "Paperback Publishing", I have the impression that the cover setting work is "nervous" until I get used to it, so I will try to work on it carefully with the work procedure (setup) in mind as an image. Well, I feel that "fun" as "act of expression" has increased by one (laughs)
Well, from today, I'll do my best with this policy! (^^ v
「第9章 国際経済と為替レート」の「第1節 日本貿易黒字の構造」の仮翻訳が先ほど終了。これは、お硬い概念がずらっと並んでいたので骨が折れたけど、どうにかクリア。
ちなみに、「仮翻訳」というのは、全編にかけての1次翻訳が仕上がって、全体を通した翻訳チェックをするまでの情態を、ここではとりあえずそう呼ぶことにしています。
さて、つぎは「第7章 ●●●モデルによる経済活動分析 第1節 エネルギーと通貨との関係」(「●●●」は伏字)だな。なお、ネット上の翻訳サービスを下訳に使うときは、節単位であえて飛び飛びにやっています。日本語原文が1冊の本のテキストコンテンツとして、整然とした形でgoogleなりMicrosoftの巨大データベースに格納されるのは避けたいので^^;
ま、これは、自分の原稿であっても同じ。「じゃあ、1からコツコツと翻訳すればいいじゃん」 たしかにそうですが、google翻訳とBingを下訳で使って、それらを照合しながら「最適訳」を決めていったほうが圧倒的に「楽!」なので(^_^)、この味を占めたらもうこの“お二方”から離れられないです。
どちらも基本的に好きくない^^;GAFAMのメンバーだけど、ま、Amazonでの電子書籍とペーパーバックの出版と同じで、使えるものは使うという方針でいきます(笑;)